将軍家治は毒を盛られ、一橋治済は天か? ― 2025/09/16 07:10
大河ドラマ『べらぼう』、この日記では先月、8月14日から「幕閣の権力争い、一橋家・田安家と田沼意次」、15日「田沼意次に忍び寄る怪しい影」、16日「次の将軍に、一橋豊千代を推す流れ」、17日「田沼意次の嫡男意知、佐野政言に殿中で斬られる」、18日「白河松平家の松平定信、ご公儀の政に登場」までを書いていた。
第31回「我が名は天」。 天明の大洪水で、江戸市中は本所、下谷など、胸までの水に浸かった。 舟を出せ、残された者を救え、と田沼意次は指示する。 あまたの者が家を失い、お救い小屋がつくられた。 米、水、油、船賃の値上げを禁ずる触れが出された。
将軍家治の具合が悪い、滋養のあるものをという、お知保の方(高梨 臨)に家斉の乳母大崎(映美くらら)は「『醍醐(だいご)』などいかが」と勧めた。 醍醐は、乳を精製して得られる濃厚で美味な菓子、「醍醐味」という言葉の元。 家治はお知保に、醍醐は父もよく食していた、その昔は田安でもと言う。 お知保は、越中守様(松平定信)に作り方を教えて頂きました、と。 しかし、家治は食べつけぬものは体に障る。 田安は取り潰しが決まりました、一口だけでもと越中守様が…。
蔦重は、深川の新之助(井之脇海)を見舞う。 妻のてい(橋本愛)が整えた子供の着物、巾着に米、金は辞退する新之助に筆耕を頼み、紙と墨を届ける。 妻のふく(小野花梨)は、かつて新之助と吉原から足抜けしたうつせみだが、「蔦重は田沼びいきだ」ともらす。 苦しい下町の生活で、よその子に乳を与え、お互い様だと。
将軍家治の病状が悪化し、月並御礼を欠席する。 夜半に腹痛が起き、意次を呼ぶ。 醍醐を食した、お知保が越中守に教わり作った。 お知保が毒を盛ることは考えられぬ、外には出せぬ。 一橋治済、あやつは天になりたいのよ、将軍の座を決する天に…。 そうすることで、将軍などさほどのものでないと、嘲笑いたいのであろう。 将軍の控えに生まれついた、あの者なりの復讐だろう。 お知保がからんでいると、奥医師に告げる訳にはいかぬ。 誰か、毒を癒す医者はおらぬか、口の堅い医者を。 余には、生きて守らねばならぬものがある。
だが、意次は医師を推挙したせいで、毒を盛ったのではないかという疑いをかけられ、目通り差し控えとなる。 さらに老中首座から、自ら退くことを考えたらどうだ、さすれば毒を盛った疑いも晴れよう、そなたのためだ、家名も禄も守れる、と言われる。 貸金会所令も、印旛沼の干拓も取り止めとなり、意次は小野忠友に、老中の職を上様にお返しします、と告げる。
天明6(1786)年8月、将軍家治の危篤の病床、側に徳川家斉(いえもと)、少し下がって一橋治済らがいた。 家治は、苦しい息で、「田沼主殿(とのも)守は、真っ当の者である。正直な者を重用せよ。蟻の穴、不都合なことを、口にするのは、政(まつりごと)に於てひどく大事なことだ。家斉、不甲斐ない父で済まぬ。」と言う。 そして病床をにじり出て、治済の所まで這って行き、「悪いのは全て治済、天は見ておるぞ、天の名を騙る驕りを許さず。余は天の一部となる。余が見ておることを夢忘るな」と、言って事切れる。
治済は家斉に、「西の丸様、家基様と間違えておられた、夢と現(うつつ)がわからずに…」、「西の丸様、これからは、この父がお支え致します」と言う。
深川では、小さな死があった。 新之助の家に、盗人が入り、ふくと坊が殺された。 乳を分けてもらった女が、あの家にはものがあると、話したのを聞いたのだ。 新之助は、「この者は、俺ではないか、俺はどこの誰に向って怒ればいいのだ」という。 蔦重は「新さん、よかったら家に来ないか」と誘うが、新之助は「もう、どこまで逃げても逃げきれない。いや、逃げてはならない、この場所から」と、きっぱり。
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