『ばけばけ』、橋のたもとで擬宝珠に手を合わせた理由 ― 2025/10/22 07:12
朝ドラ『ばけばけ』で、松野トキ(高石あかり)と、婿に来た銀二郎(寛一郎、佐藤浩市の息子、三國連太郎の孫だそうだ)が、橋のたもとで擬宝珠に手を合わせる場面があった。 橋を架ける時に、源助という男が人柱になったというのだった。
小泉八雲著、平井呈一訳『日本瞥見記』(上)の「神々の国の首都」に、この橋の話が出てくる。 以下に平井呈一訳を、ほとんどそのまま引用するけれど、平明達意の文章で、素晴らしく読みやすいことが、書き写していて、よくわかった。 小泉八雲が、松江に来た明治23(1890)年には、春に近代的な橋が開橋式が挙げられたばかりだったという。 昔からのしきたりで、新しい橋が落成すると、その橋の渡りぞめをする人は、その界隈でいちばん果報者でなければならないことになっていた。 松江の市役所では、その果報者をあれこれと物色して、ようやくのことで、ふたりの高齢者を選び出した。 このふたりの老人は、結婚してからことしで五十余年になり、その間に十二人以上の子をもうけている。 しかも、その子供が、今もって一人も欠けたものがない。 このめでたいふたりの老人が、それぞれ老妻を具して、そのあとに大きくなった子供や、孫や、曾孫(ひこ)を従え歓呼の声と、狼煙(のろし)の音と、祝砲の轟音のなかを、粛々と渡りぞめをしたのである。
慶長年間に、出雲の大名となった武将、堀尾吉晴が、はじめてこの川口に橋普請をおこした時のことであった。 橋大工がいくら骨を折っても、どうしても橋がかからない。 橋杭をうつのに、川底に固い岩床がなさそうなので、大きな石を幾百となく投げこんでみたが、どうもその効(かい)がない。 昼間、せっかく組み上げた工事が、夜になると、水に流されたり呑まれたりしてしまうのである。 それでもなんとかして、ようやくのことで橋が落成した。 ところが、落成したと思うまもなく、こんどは橋杭が沈下しだした。
とかくするうち、洪水が出て、半分ばかり橋をさらってしまい、その後も橋は幾回となく破損し、破損すると、そのたびに修復をするというふうであった。 そこで、水神の怒りを鎮めるために、人柱を立てることになった。 そして、ひとりの男が、橋のまんなかの水あたりのいちばん烈しい橋杭の下の川底に、生きたまま埋められたのである。 ところで、このことがあってからのちは、橋は、三百年のあいだ、そのままびくともしなかったのである。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。