『小學國語讀本』「稲むらの火」の元はハーンの「生神様」 ― 2025/10/29 07:21
そこで平川祐弘著『小泉八雲 西洋脱出の夢』の第四章「稲むらの火」である。 小泉八雲のラフカディオ・ハーンが作品を発表したのは英語で、アメリカの新聞や『大西洋評論』といった雑誌だった。 ハーンは1896(明治29)年12月号の『大西洋評論』誌に「生神様」を発表した。 日本の神様がいかなるものであるかを説明し、カミはゴッドとは同じでない、日本では人が死んで神となる、いや生きながら神として祀られる人もいるとして、その神道的風習の好例として「浜口大明神」の話を選んだのだ。 明治29年6月15日に「三陸大津波」が宮城、岩手、青森の三県を襲い、死者二万を出した。 その新聞記事に、関連する話として安政元(1854)年の大地震と津波、浜口儀兵衛(梧陵)のことが出たにちがいない。 それを読んで、ハーンは「生神様」三節の最後の節に「稲むらの火」を書いた。
昭和9(1934)年、文部省は新しい国語と修身の教材を公募した。 それに応募して選に入った人が、和歌山県湯浅町の教員・中井常蔵で、「燃える稲むら」だった。 湯浅町は、安政元年11月5日に津波に襲われたその土地で、浜口儀兵衛の広村の隣町である。 中井は自分が応募した文章が、一字一句の修正もなく、文部省に採用されたことに感動した。 ただ自分がつけた原題「燃える稲むら」は「稲むらの火」にあらためられていた。 なるほど「稲むらの火」の方が題として坐りも良く、印象的であると思った。
郷土の先覚の事蹟を顕彰する一文が『小學國語讀本』に選ばれたことを喜んで、和歌山県出身の朝日新聞の大記者、楚人冠杉村広太郎が祝いの手紙を中井によこした。 主人公の名前は五兵衛ではなく浜口儀兵衛のはずだが、とも書いてあった。 中井は土地の人であったが、80年前の郷土の先覚の事蹟を小泉八雲の文章を通じて知ったので、ハーンが書いた通り五兵衛にしてしまったのである。
それでも中井の文章は小学生向けにいろいろと工夫されていた。 登場人物も孫を抜いて簡略化されていた。 五兵衛が火をつけた理由も、ハーンのようにサスペンスを置かず、「もつたいないが、これで村中の命が救へるのだ」と最初から説明されていた。 その五兵衛の村における地位も「長者」より通りのよい「莊屋」に改められていた。 しかし中井常蔵が書き改めた中にはラフカディオ・ハーンの原文以上に見事な一節があった。 それは日没後の高台で、稲むらの火が風にあおられて又もえ上る、という最後の情景である。 「稲むらの火」が子供心に強い感銘を残したのは、一つにはこの感動の光景ゆえにちがいない。
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