渡辺憲司立教新座高校長の「贈る言葉」2012/03/09 06:42

 「ブラタモリ」「江戸の盛り場」「吉原編」の案内役が、意外な人だった。 慶 應志木高の近く、立教新座中学・高校校長の渡辺憲司さん、実は日本近世文学 の研究者で江戸時代小説・大名文芸圏・遊里史などを専門とする立教大学名誉 教授だった。 遊廓研究の第一人者なのだそうだ。

 その渡辺憲司さんが、6日の朝日新聞朝刊オピニオン面「耕論」「贈る言葉」 で、「18歳の君たちへ 東北の海を 感じに行こう」を語っていたので、以下の ことを知った。 渡辺憲司校長、昨年3月東日本大震災で立教新座高校の卒業 式が中止になったため、卒業生へのメッセージをインターネットで公開したと ころ、大反響があった。 「時に海を見よ」という題だ。 以下に、拙い要約 を試みる。

 大学へ行くということは、どういうことなのか。 学ぶためか、多くの友人 を得るためか、楽しむためか。 否、学ぶことは一生のことである、いかなる 状況にあっても、学ぶことに終わりはない。 どの社会にあろうとも、よき友 人はできる。 エンジョイするために大学に行く、ふざけるな、今この現実の 前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。 何のために大学に行 くのか。 あえて象徴的に言えば、大学に行くとは、「海を見る自由」を得るた めなのではないか。 言葉を変えれば、「立ち止まる自由」を得るためではない か。 現実を直視する自由を。

 高校までの時代も、会社に勤めても、そして家庭を持っても、時間を他者に 管理されている。 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌きの 時なのだ。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」と、言える時間。

 それが荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない、悲惨な現実を前にしても言おう。  時に、孤独を直視せよ。 海原の前に一人立て。 自分の夢が何であるか。 海 に向かって問え。 青春とは、孤独を直視することなのだ。 直視の自由を得 ることなのだ。 大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。  自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。 流れに任せて、時 間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。  いかに哀しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべ はない。

 海を見つめ。 大海に出よ。 嵐にたけり狂っていても海に出よ。  真っ正直に生きよ。 くそまじめな男になれ。 一途な男になれ。 貧しさ を恐れるな。 男たちよ。 船出の時が来たのだ。 思い出に沈殿するな。 未 来に向かえ。 別れのカウントダウンが始まった。 忘れようとしても忘れえ ぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。 愛される存在 から愛する存在に変われ。 愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそ う。

 「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書8:32)

巣立ちゆく立教の若き健児よ。 日本復興の先兵となれ。