福沢の女性論・家族論はどうなったか2014/01/17 06:34

こうした福沢の女性論・家族論は、世情とはまったく反対のものだった。 「福 澤諭吉著作集」第10巻『日本婦人論 日本男子論』の西澤直子さんの解説は、 たいへん優れたものである。

明治16(1883)年9月21日付の一太郎・捨次郎宛書簡に、日本の教育は近 来ますます儒教主義に戻って、可笑しい次第だけれど、もとより永久に持続す るものではなかろう、とある。 儒教主義を脱するのに、それから100年では 足りなかった。 福沢の唱道したことは、今日でも認められていないところが ある。

森有礼文部大臣は通達して、女子教育は良妻賢母を目指さなければ、国家の 安否に関わるとした。 仏教者の丹霊源(たんれいげん)にも、福沢を指した と思われる、女子教育、男女交際論の批判がある。 嘉悦学園創立者の嘉悦孝 でさえ、大正4(1915)年に「女大学風で育てられた女性でなければなりませ ん」と言っている。 そうした考え方は、多くの人が当り前と思っていて、そ う言わなければ、耳を傾けないというのが世の中の風潮だった。 日清戦争後 の十年間は、日本が軍国主義化する時代であった。

あくまでもヒューマンに根差したものが、福沢思想の根幹だった。 『福澤 先生浮世談』で、「多妻法の禽獣世界を脱(ぬ)けて一夫一婦の人間界に還るは、 人獣分け目の堺(境)だ。御多分に従て禽獣の方に附きますと云ふ馬鹿者もな からう。私は構ふことはない、生涯有らん限りミシミシ遣付けて遣る。」と言っ た。 福沢は暗殺を恐れて、丸腰になった。 志と勇気の人だ。 こういう学 校に私共は学ばせてもらった。 まことに有難いことだと思っております。