渋沢栄一が欧州で驚いた三つ〔昔、書いた福沢16〕2013/12/01 07:31

   等々力短信 第296号 1983(昭和58)年8月25日

『新日本事情』のすゝめ

 渋沢秀雄さんの書いた父親、渋沢栄一の伝記、『明治を耕した話』(青蛙房) に、渋沢栄一がヨーロッパで驚いた三つのこと、というのが書かれている。 第 一は、徳川昭武一行についたフロリヘラルドという銀行家から聞いた、株式会 社の制度である。 銀行や会社が、大衆の小さな資本を集めて大きな仕事をし ているのに、まず驚いた。 第二は、同じく一行についた陸軍大佐ビレットと フロリヘラルドの対等な関係だった。 「お武家様」と「町人」が、互いに自 己主張もすれば議論もするのが不思議だった。 第三は、ベルギーの国王レオ ポルド一世が、鉄の有用さを説いた上で、将来日本が鉄を買うならベルギーか ら買いなさいとすすめた、その言葉だった。 身分のある人が、商売人のよう なことをいうのにはびっくりしたが、渋沢栄一は一晩考えて、国を代表する国 王が自国の利益を謀ることこそ当然と認めるべきだ、という結論に達した。

 「彼が驚いてくれたおかげで、後年の日本は近代化を早めた」と、渋沢秀雄 さんは書いているが、驚くと同時にそれを実際にやってみようとするところに、 注目する必要がある。

 福沢諭吉が「著作演説」を通じて啓蒙に努めたのに対し、渋沢栄一は果敢な 実行の人であった。 ヨーロッパでの第一の驚き、株式会社を「合本法(がっ ぽんほう)」と称して、帰国後すぐに、慶喜隠退先の静岡で始めたことは前に書 いた。 言葉は悪いが、世の中、こういう優れたオッチョコチョイ精神によっ て進歩していくのであろう。

 渋沢栄一と福沢諭吉の西欧文明にたいする観察の方法を調べているうちに、 このやり方で現代日本を見たらどうだろうと考えるようになった。 日本とい うもの、毎日暮して、わかっているようでいて、実は何もわかっちゃあいない。  とりわけ総合的に、全体像としての日本をつかめていないように思う。 「未 知の社会の一点」、たとえば官僚、コメ、受験産業、サラ金、健保、自衛隊、テ レビ、流行歌、トルコなどといったものから出発して、「原理にまで一歩一歩迫 ってゆく」現代日本探検をやってみたら面白いだろう。 明治維新から日露戦 争まで、それから太平洋戦争終戦まで、そして今日まで、それぞれ約40年に なっている。 21世紀を望む、新たな40年のシナリオになりうる『新日本事 情』を、書いてくれる優秀なオッチョコチョイはいないものか。

金原亭馬吉の「もぐら泥」2013/12/02 06:48

 11月27日は、第545回落語研究会だった。 豪華メンバーが揃って、当日 券は早めに完売したらしい。 プログラムでいつもの、おはやし 太田園子 松 尾あさ子のあとに、笛 藤舎推峰、打方 望月太津之とあるのが、目につく。

「もぐら泥」   金原亭 馬吉

「まめだ」    林家 正蔵

「魚屋本多」   柳家 三三

      仲入

「宗論」     柳家 権太楼

「猫の忠信」   古今亭 志ん輔

 馬吉、前にも聴いたことがあるが、いい男で、きちんとしている。 寄席で は、芸を盗む、客のフトコロを取り込む、ということで、泥棒の噺を好むと始 める。 湯ウ屋の「板の間稼ぎ」、宿屋の「枕さがし」にふれ、「もぐら」の説 明をする。 目の悪い乞食の恰好をして、昼間、桟に爪で痕(あと)をつけて おき、夜、敷居の下を掘って、かけ金(掛鍵?・猿?)をはずして、入る泥棒。  

勘定が合わず、主人が一生懸命勘定をしている。 側にいた、おばあさんが 拝借して、買物をしたと、判明。 まだ、合わない。 ほんのわずかだ。 ほ んのわずか、届かない、という声。 お前、何か言ったか。 言いませんよ。  イライラする。 もう少しなんだが、やっぱり駄目か。 また、もう少しなん だが、やっぱり駄目かの声。 また、何か言ったな、出て行きなさい。 わか ったよ、土間の方だ。 声、出すな。 おじいさん、種を播いたんですか、手 が生えている。

 主人が、細引で手を縛る。 痛い、痛い、勘弁して下さい、ほんの出来心で …。 あなた、今の内に逃がしちゃいなさいよ、子分がいて仕返しに来たりす るから。 そう、子分が58人、気の荒いのが多いので、長い物を持って斬り に来る。 おかみさんですか、お察しの通り、これには深い訳があって、家に は80歳になるお袋、かかあが逃げて、子供が6人いて、暮しが苦しい。 子 分が58人いるのを、どうやって養うんだ。 駄目か、片手が空いているんだ、 火をつけるぞ。 ここは借家だ。 あれ、ウチの中の気配がなくなった、とん だドジを踏んだ。 二つ光るものが来る、犬だ。 片足上げるんじゃないよ、 あ、やりやがった。

 兄貴分と交渉に行った鉄、謝って兄貴の金、三両を渡して来ることになって しまった。 明日、返さなければならない三両なので、明日までに用意しろ、 と兄貴は行ってしまう。 おい、足下を見ろ、助けてくれ。 なんだ、縛られ ているのか。 銭を盗らない泥棒だ。 腹掛けの中にがま口と小刀が入ってい る。 あとで一杯ご馳走するから、背中から手を入れて、取ってくれ、小刀で 細引を切るから。 お前なんか臭いな、がま口に銭が三両入っているよ。 変 な目付きすんなよ。 本当に、身動きが取れないんだな、コレ、俺もらって行 くよ。 おい、ドロボー!

 馬吉、なかなかの出来だった、きっちりしているし、期待できる。

正蔵の「まめだ」2013/12/03 06:41

 「まめだ」は、珍しい噺だ。 上方落語で、三田純市が桂米朝のために作っ たという。 正蔵がそれを背景も登場人物も東京に移して演じた。 出囃子で 太鼓が際立ったのは、打方 望月太津之だろう。

 九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎が団菊といわれた時代、旅が好きな市 川九蔵という役者がいて、地方や大阪に回ったりした。 その弟子で、七五三 蔵(しめぞう)という大部屋の役者がいた。 三ノ輪寺町の貝に詰めて売る膏 薬屋の息子で、当時は役者の数が多く、名のある家に生れないとなかなか出番 がない(その笑いは何? と)。 喧嘩になって、「抜いたぞ」で逃げ、永久に 出て来ない役。 向うを向いた死体。 馬の足、これが難しい、こないだも隣 の大劇場で幸四郎が落っこった。 それで手当が出る、飼葉料。 花四天(は なよてん)といって、花枝を持って立回りに取巻きに出る捕り手の役。 とん ぼを切る。 練習を重ね、打身、捻挫で大変なのだが、ウチに膏薬がある。

 親方から先輩、同僚、下足のおじさんにまで挨拶して、時雨の中を帰って来 る。 (鳴り物が入って)猿若町から三ノ輪の寺町にかかると、傘がずしりと 重くなった。 薄気味が悪い。 それは「まめだ」の仕業だという。 「♪雨 のショボショボ降る晩に、「まめだ」が徳利持って酒買いに」。 「まめだ」は、 まめだぬきのことだ。 何度かそんなことがあった。 仕返しをしてやろう、自分の傘を差して、三ノ輪の寺町へ、ずしんと重くな ったとたんに、ポンととんぼを切って、後ろに引っ繰り返った。 ざまあみや がれ、雉も鳴かずば打たれめえ。

 おっ母さん、ただいま、腹減った。 すぐに、おまんまの仕度をするからね、 おつけを温め直す。 ご飯を食べると、七五三蔵はごろりと横になった。  薬をおくれ、と絣(かすり)の着物を着た五、六歳の男の子が立っている。  一貝一銭、お足を…、お使いかい。 傘を貸してあげる、と取りに行くと、坊 やはいなかった。 明くる日、七五三蔵が帰ると、おっ母さんが考えている。  銭箱のお足が一銭足りない。 銀杏の葉っぱが一枚入っている。 ちょうど色 付いている季節で、風に飛ばされて入ったんだろうか。 明くる日も、おっ母 さんが考えている。 一銭足りなくて、銀杏の葉っぱが一枚。 絣の着物を着 た、無口な坊やが今日も来た。 おかしい。 銭箱のフタを閉めて、重石を載 せておいた。 でも、銀杏の葉っぱが入っている、不思議だなあ。 そんなこ とが十日も続いた。

 いやーーあ、おかしいよ、勘定が合って、銀杏の葉っぱが入っていない。 今 日に限って、絣の着物の男の子が来なかった。  朝、七五三蔵が顔を洗っていると、銀杏の木の下に子狸が死んでいるという ので、見に行く。 身体じゅうに、膏薬の貝殻をつけて、死んでいる。 こり ゃあ、ウチの貝だ。 この子狸を殺したのは私なんです。 こういうわけで、 地ベタに叩きつけた。 馬鹿だなあ、貼り方を知らず紙に貼らないで、貝殻い っぱいつけやがって…。

 寺の和尚に頼んで、折れた線香でもかまわねえ、手向けてやって下さい、こ れで供養を、境内の隅にでも埋めてやってと、母親や町内の者ともども、葬る ことにした。 哀れな話だという和尚に、ねんごろに読経してもらうと、秋風 が吹いて、おびただしい銀杏の葉が狸の墓に集まった。 おっ母さん、ご覧よ、 狸仲間から、こんなに沢山、香典が届いた。

三三の「魚屋本多」前半2013/12/04 06:33

 黒紋付の着物に、黒い羽織。 東京会館で噺家のパーティーがあり、受付に 名札がアイウエオ順に並べてあった。 噺家は柳家や林家でなく、下の名で並 んでいる。 三三、「サ」行になく、「ヤ」行にもない。 「ハ」行にあった。  日吉ミミの隣に…。 歌舞伎の世界も同じ、下の名で呼ぶ。 芝翫が亡くなっ た時、アナウンサーが「中村さんは」「中村さんは」と言っていたが…。 「九 十九久保に百本多」、徳川ゆかりの大名・旗本には大久保や本多の姓が多い。 徳 川も二代秀忠の泰平の時代になると、殿様も昼間からご酒宴、二代目、三代目 になると、殿様でも落語家でも同じ、だらしなくなる。

 えーっ、魚屋でござい、お惣菜はいかがで、と売り歩くが、親方の言った陸 にも時化があるというやつで…。 ちょいと魚屋さん、赤ん坊が寝たばかり、 静かにしとくれ。 起き上がれ、遠くから呼びやがって。 魚屋は、本多隼人 正(はやとのしょう)の麹町の屋敷の前で一休みした。 腰にたばさんでいた、 桶に柄がすがっている水飲みに、瓢箪から酒を注ぐ。 水飲みは紋が入ってい て、身分のあるお武家の持ち物で、戦場で水を飲んだりする道具だ。 エーッ、 うまいね、暑さ、寒さを、サケるというけれど。

 二階からそれを見た本多隼人正、用人の山辺藤太夫をやる。 「ギョバイニ ン、待て」、魚を残らず買うから、ついてまいれ。 広い屋敷なのに、塵一つな い。 暫時、控えておれ。 贅沢な造りだねえ、唐紙の房なんか、羽織に下げ たいね。 きれいな布団だねえ、一年中使えるから四季布団てえのかね、洒落 てる場合じゃねえか。 お腰元、いい女だねえ、矢羽根の着物を着て、お茶を 一服。 紙にくるんであるお菓子は、土産に持って帰るか。

 殿様の御前に出て、お尋ね。 名前は? 宗太郎。 妻子はあるか? 妻が 一人に、子が一人。 ササはすごすか? 馬じゃないから、ササは食わない。 酒ですかい、酒なら、浴びるほどだ。 一升入りの盃、銘が「武蔵野の秋の月」、 広くて野が見尽せない、飲み尽くせない。 息もつがずに飲んだ。 いま、一 献。 ありがとうございます。 いい酒だ、飲み干して、腹の虫が驚いた。

 尋ねたき儀がある。 その水飲みはその方の物か、譲り受けたものか。 魚 屋は、訳ありで、話が湿っぽくなるからと断わるのを、殿様はいわくを語り聞 かせよ、申せ。 三十三年前、わっしが生れる前に、尾州小牧山徳音寺の村で、 徳川様と太閤様の合戦があった。 親一人、娘一人の家で、手傷を負った侍を かくまった。 焼酎で傷を洗い、薬を塗った。 その晩、侍が娘といい仲にな った。 十月十日経って、産まれたのがわっし。 お袋は産後の肥立ちが悪く、 明くる年、鴬も鳴かぬ内に死んだ。 爺様と十七まで二人暮し、爺様が今わの 際に、お前の父親は徳川様のご家来だ、江戸へ出て探せ。 この水飲みが、証 拠の品だ、と言い残した。 十八で江戸へ出て、二十五で魚屋を持った。 わ っしは、父親に会いてえ。 一目会いてえ。 寝た間も、忘れたことはない。  だから、この水飲みは、肌身離さず持っている。 この水飲みだけは、お譲り できねえ。 おいとましたいが、まだ魚のお代を頂いていない。

三三の「魚屋本多」後半2013/12/05 06:31

 一同の者もよく聞けよ、と殿様。 三十三年前、天正十二年四月、小牧山、 それがしは百四人で、松と杉の間に潜んでおった。 そこへ敵、丹羽長秀の軍 勢が多数押し寄せて来た。 (ここから三三、講談調で朗々と語り)多勢に無 勢、奮戦すること、我事ながら物凄き、しかし気づけば、われ只一人になって おった。 一軒のあばら家があり、請うとかくまって、父と娘で傷の手当をし てくれた。 若気の至り、その娘と一夜の契りを交わした。 するてえと、殿 様は、お父っつあん。 今すぐの、名乗りは出来かねる。 わっちが魚屋だか らですか、わっちは今日という日をどれほど楽しみにしていたことか。 日を 改めて、名乗りを致す。

 そなたの母も、祖父も亡くなったか、寺に年五十石ずつ届けて、ねんごろに 供養して貰うことに致すから、許してくれ。 魚売りは今日限り、士分に取り 立てる、本多宗太郎と名乗れ。 ありがてえけど、いやだ、わっちはねっから の魚屋だ。 今さら自分は侍になれないが、六つになる倅の宗吉は、朝からヤ ットウヤットウなんかやっている、この通りだ、倅を侍にしてくれる訳にはい かないだろうか。 孫である、余が引き取り、二百石をつかわす。 魚屋は訊 く、御用人は何石で? 八十石。 控えておれ、藤太夫。

 宗太郎、さっそく家に帰って報告する。 そうだ、お代を忘れて来た。 飯 台と天秤棒も。 日を改めて、殿様と魚屋の親子の名乗り、対面が叶う。 こ れが本当のおめでたい。