「あいつぐ試練」豊田章男トヨタ自動車社長2013/12/27 06:29

 去年は、12月21日に小泉信三記念講座、坂上弘さんの「水上瀧太郎『銀座 復興』をめぐって―震災と文学」を三田の北館ホールで聴いて、こう書いた。  「たびたび言うが、三田演説会など「参加自由・事前予約不要」木戸無料のこ うした慶應義塾の講演会に、塾生はもちろん、塾員、一般の方の参加が少ない のは、まことに残念で、もったいないことだと思う。」 その小泉信三記念講座 に、19日、6期ぶりの過去最高益かといわれるトヨタ自動車(株)取締役社長 の豊田章男さんが来ると、17日の「慶應義塾メールマガジン」で知り、どんな 話をするのだろうかと、聴きに行った。 告知が直前になったのも聴衆の多い ことを予想したからか、会場は西校舎ホール、ほとんどが学生で満員になった。  前社長は私と同期だったけれど、豊田章男さんが慶應出身(法学部法律学科) で、ホッケー部だったというのを、ぜんぜん知らなかった。 演題も行ってか らわかった、「慶應義塾体育会の誇りを胸に」、それで体育会らしい学生が多い のだ。 いつも、こうした会の講師紹介で、外部の人まで「君」というのを、 慶應義塾原理主義的と腐(クサ)してきたが(笑)、今回は豊田章男「様」だっ た。 今回は、「君」でよかったのではないか。 「トヨタ自動車(株)取締役 社長」に、慶應義塾も気圧されたか。

 豊田章男さん、三田にはあまり来なかったが、日吉のホッケー場に年400日 通った、という。 日本代表に選ばれアジア大会に出、卒業式で優等生と並ん で小泉信三体育努力賞を受けたのを、人生で誇りに思っている、と。

 2008(平成20)年に起ったリーマン・ショックで世界の自動車販売台数は 激減、拡大路線をひた走ってきたトヨタは大打撃を受け、2009年3月期に58 年ぶりに赤字に転落した。 2009年6月に社長に就任したが、8月GM との 合弁事業NUMMIからの撤退を決め、11月にはF1参戦から撤退を決めた。 と もに苦渋の決断だったけれど、「Mr.撤退」と言われた。 その年から翌2010 年にかけ、世界的な大規模リコールが発生し、2月24日アメリカ議会の公聴会 に呼ばれた。 謝罪する「謝長」と言われた。 10月には尖閣諸島沖での漁船 衝突事件から中国で反日騒動が発生、日本車が排斥された。 2011年3月「ト ヨタグローバルビジョン」発表二日後の11日、東日本大震災が発生、生産拠 点や仕入先、販売店が被害を受け、港湾では多数の完成車両が被災した。 翌 日、車体メーカーと仕入先を含む従業員の安全確保を最優先するため、国内の 全工場の操業停止を決定した。 同時に緊急支援物資の輸送を開始した。 生 産拠点のセントラル自動車(現、トヨタ自動車東日本)では、5か月かかると いわれた生産復旧を1か月で達成し、東北にトヨタ東日本学園を開設した。 ト ヨタがグローバルで挽回生産に入った10月、今度はタイで大洪水が発生した。

 2010年から続く記録的な円高とあいまって、タフな三年間だった。 その危 機に生きたのが、慶應義塾体育会での体験である。(つづく)