三三の「魚屋本多」前半2013/12/04 06:33

 黒紋付の着物に、黒い羽織。 東京会館で噺家のパーティーがあり、受付に 名札がアイウエオ順に並べてあった。 噺家は柳家や林家でなく、下の名で並 んでいる。 三三、「サ」行になく、「ヤ」行にもない。 「ハ」行にあった。  日吉ミミの隣に…。 歌舞伎の世界も同じ、下の名で呼ぶ。 芝翫が亡くなっ た時、アナウンサーが「中村さんは」「中村さんは」と言っていたが…。 「九 十九久保に百本多」、徳川ゆかりの大名・旗本には大久保や本多の姓が多い。 徳 川も二代秀忠の泰平の時代になると、殿様も昼間からご酒宴、二代目、三代目 になると、殿様でも落語家でも同じ、だらしなくなる。

 えーっ、魚屋でござい、お惣菜はいかがで、と売り歩くが、親方の言った陸 にも時化があるというやつで…。 ちょいと魚屋さん、赤ん坊が寝たばかり、 静かにしとくれ。 起き上がれ、遠くから呼びやがって。 魚屋は、本多隼人 正(はやとのしょう)の麹町の屋敷の前で一休みした。 腰にたばさんでいた、 桶に柄がすがっている水飲みに、瓢箪から酒を注ぐ。 水飲みは紋が入ってい て、身分のあるお武家の持ち物で、戦場で水を飲んだりする道具だ。 エーッ、 うまいね、暑さ、寒さを、サケるというけれど。

 二階からそれを見た本多隼人正、用人の山辺藤太夫をやる。 「ギョバイニ ン、待て」、魚を残らず買うから、ついてまいれ。 広い屋敷なのに、塵一つな い。 暫時、控えておれ。 贅沢な造りだねえ、唐紙の房なんか、羽織に下げ たいね。 きれいな布団だねえ、一年中使えるから四季布団てえのかね、洒落 てる場合じゃねえか。 お腰元、いい女だねえ、矢羽根の着物を着て、お茶を 一服。 紙にくるんであるお菓子は、土産に持って帰るか。

 殿様の御前に出て、お尋ね。 名前は? 宗太郎。 妻子はあるか? 妻が 一人に、子が一人。 ササはすごすか? 馬じゃないから、ササは食わない。 酒ですかい、酒なら、浴びるほどだ。 一升入りの盃、銘が「武蔵野の秋の月」、 広くて野が見尽せない、飲み尽くせない。 息もつがずに飲んだ。 いま、一 献。 ありがとうございます。 いい酒だ、飲み干して、腹の虫が驚いた。

 尋ねたき儀がある。 その水飲みはその方の物か、譲り受けたものか。 魚 屋は、訳ありで、話が湿っぽくなるからと断わるのを、殿様はいわくを語り聞 かせよ、申せ。 三十三年前、わっしが生れる前に、尾州小牧山徳音寺の村で、 徳川様と太閤様の合戦があった。 親一人、娘一人の家で、手傷を負った侍を かくまった。 焼酎で傷を洗い、薬を塗った。 その晩、侍が娘といい仲にな った。 十月十日経って、産まれたのがわっし。 お袋は産後の肥立ちが悪く、 明くる年、鴬も鳴かぬ内に死んだ。 爺様と十七まで二人暮し、爺様が今わの 際に、お前の父親は徳川様のご家来だ、江戸へ出て探せ。 この水飲みが、証 拠の品だ、と言い残した。 十八で江戸へ出て、二十五で魚屋を持った。 わ っしは、父親に会いてえ。 一目会いてえ。 寝た間も、忘れたことはない。  だから、この水飲みは、肌身離さず持っている。 この水飲みだけは、お譲り できねえ。 おいとましたいが、まだ魚のお代を頂いていない。