多聞丸、助けた弁内侍と言い争う2024/04/25 07:06

 弁内侍は、「御大将ですね」「楠木左衛門尉様とお見受け致します」と言い、「まず御礼を申し上げます」と。 「まず……か」、多聞丸は、その言葉の中に何か含みを感じた。 弁内侍は、多聞丸に矢継ぎ早に質問を畳みかける、自分が高師直に狙われていること、ここで襲われることを知っていて、尾けていたのか、それなら何故、早くに助けてくれなかったのか、と。 多聞丸は、百五十を超える郎党を動員し、父正成が編み出した波陣という索敵に適した陣形を駆使して、何とか見つけ出したこと、高師直ならばやりかねないとは思ってはいたが、実際にその動きを掴んでいたわけでなく、万が一に備えて捜索していたこと、そのせいでこちらにも死人が出ていることを、説明した。 何故、出掛けたか、尋ねると、北の方様が逢いたいと仰せで、と。 日野俊基が死んだ後、弁内侍を育てた俊基の兄・日野行氏の妻だ。 それも師直の罠かも知れぬと、待ち合わせ場所を聞き、年嵩の女官を一人連れて、多聞丸ら10騎で向かい、数を多く割いて弁内侍を吉野へ送り届けることにする。

 弁内侍は、もう一つだけと、先刻、河内は我らの地だとおっしゃったのは、間違いだ、「日の本六十余州、遍(あまね)く帝(みかど)の地です。楠木様は帝から河内を預かっているに過ぎません」と言う。 河内の地は、楠木家の先祖、一族が長い時を掛け、多くの汗と血を流し、民と手を取り合って治めてきたものである。 父の代で後醍醐帝より河内守に任じられたが、これは現状への追認と言ってもよい。 多聞丸は、「ならば帝は怠慢ですな」。 「取り消しなさい!」と、弁内侍。 この世に飢える者、病に苦しんで一匙の薬も飲めずに死ぬ者がどれほどいるか、帝の地だと言うのならば、何故にそこに住まう民を救おうとはなさらぬのか。 あくまでも相手は弁内侍である。 だがこれは父の運命を翻弄した先帝に、今また楠木を巻き込もうとする今帝に向けての想いである。 いや、長年抱いてきた疑問と言ってもよい。

 「それはその地を預けられた者が……」「そう仰せになると思った。ならば帝は人を見る目が無い」「貴殿は正気ですか……」「正気です」 荘園や領地をめぐる「戦ならば幾ら血がながれてもよいと、幾ら民が苦しんでもよいと仰せか」「帝とは……それほど尊い存在なのです」 多聞丸は風の中に溶かす様に真意を告げた。 「私はそうは思わない。誰かのために散ってよい命などない」

 「最後に名をお教え願いますか」と、尋ねる。 「正行です。正しく行くと書く」。 「名は」 弁内侍は、そっと蕾が開くほど、風に溶けるほど小さな声で、だが弱弱しい訳ではなく、むしろ凛とさえして、名を告げた。 「茅乃殿……ですな」

 弁内侍の茅乃を見送った後、多聞丸らは待ち合わせ場所へ向かった。 人里から少し離れた一軒家で、先刻まで人のいた気配があった。 近くの村で、身分を明かして、長老に聞くと、少し前に建てられたもので、その二月ほど前、公家の大炊御門家の家司を名乗る者が四人の青侍を連れて訪ねて来て、京が戦乱に巻き込まれた折の別宅、避難場所にしたいと、守護の許しの書面も見せられて、作業が始まったという。 あとで、大塚惟正に「大炊御門家」を調べさせると、当主の弟、大炊御門家信が高師直と昵懇だと判明した。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック