三三の「魚屋本多」後半 ― 2013/12/05 06:31
一同の者もよく聞けよ、と殿様。 三十三年前、天正十二年四月、小牧山、 それがしは百四人で、松と杉の間に潜んでおった。 そこへ敵、丹羽長秀の軍 勢が多数押し寄せて来た。 (ここから三三、講談調で朗々と語り)多勢に無 勢、奮戦すること、我事ながら物凄き、しかし気づけば、われ只一人になって おった。 一軒のあばら家があり、請うとかくまって、父と娘で傷の手当をし てくれた。 若気の至り、その娘と一夜の契りを交わした。 するてえと、殿 様は、お父っつあん。 今すぐの、名乗りは出来かねる。 わっちが魚屋だか らですか、わっちは今日という日をどれほど楽しみにしていたことか。 日を 改めて、名乗りを致す。
そなたの母も、祖父も亡くなったか、寺に年五十石ずつ届けて、ねんごろに 供養して貰うことに致すから、許してくれ。 魚売りは今日限り、士分に取り 立てる、本多宗太郎と名乗れ。 ありがてえけど、いやだ、わっちはねっから の魚屋だ。 今さら自分は侍になれないが、六つになる倅の宗吉は、朝からヤ ットウヤットウなんかやっている、この通りだ、倅を侍にしてくれる訳にはい かないだろうか。 孫である、余が引き取り、二百石をつかわす。 魚屋は訊 く、御用人は何石で? 八十石。 控えておれ、藤太夫。
宗太郎、さっそく家に帰って報告する。 そうだ、お代を忘れて来た。 飯 台と天秤棒も。 日を改めて、殿様と魚屋の親子の名乗り、対面が叶う。 こ れが本当のおめでたい。
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