「メメント・モリ(死を思え)」「カルペ・ディエム(その日を生きよ)」 ― 2025/08/31 07:49
生命保険会社が、関係会社の広告で「死亡保険」という言葉を平気で使い始めたのは、いつからだったのだろう。 にこやかな若い女性が、広げた手を交叉させて胸に当てながら、「♪まさかの時は、まさかの時は、あんしーんさいてん!」と歌うテレビのCMを見るたびに、「早く死になさい」と言われているような、気のする年齢になった。
肺がんが再発したという解剖学者の養老孟司さんと、東京大学医学部の後輩で教え子の、がん研有明病院の腫瘍内科医・高野利実さんの対談を読んだ(8月25日・朝日新聞朝刊)。 メメント・モリという言葉は、「人は必ず死ぬ」という意味だと聞いて知っていたが、養老孟司さんは、ラテン語の修道院のあいさつの言葉だと、話している。 「メメント・モリ(死を思え)」に対する言葉が「カルペ・ディエム(その日を生きよ)」だという。 死を思うからこそ、いまこのときを生きる、ということだ、と。
養老さんは、人は病気になって死ぬ、これを「人の自然」と呼んでいる。 現代社会は、それをあまり考えなくなった、と。 高野利実さんが、「「足るを知る」という考え方も大事なのかもしれません。先生ご自身はいま、幸せですか」と聞く。 養老さんは、「はい、そうですね。どうしても足りないものとかはありません。医療で幸せになろうというほうが、まちがっているんじゃないかと思います。」「僕は死ぬまで虫を触っていたい。片付いていない標本も仕事もあって、本当は入院なんかしている暇はないんです。/僕は何かを判断するときの考え方として、「居心地がいい」ということをよく言っています。大事なのは日々の生活の居心地のよさでしょう。「自分が居心地のいい状態を探せ」と。/僕も死ぬまで居心地のよいところを探したいと考えています。」
新潮社の『波』9月号に、『患者と目を合わせない医師たち』という本を出した医師の里見清一さんと、作家の川上未映子さんの対談が載っている。 川上さんは、お母さんが二年半前にがんと診断され、その後いろいろなことがあって、昨春亡くなったという。 最後に緩和ケアに移ることになって、手続き上、どうしても母に余命を告げざるをえなくなった。 今でも、伝えてよかったのかどうか、怖くなかったかな、と毎日考えるし、夢にも見るそうだ。 そのことを先日、養老孟司先生と対談したときに言ったら、養老先生は「余命なんて言う必要はない、いよいよどうしようもなくなったら、そのときに、「やっぱりダメかもしれないね、と言えばいい」と仰ったんです」。 川上さんは、「えっ!」と驚いて、笑ってしまった、という。 粘って粘って「やっぱりダメかもしれないね」って。 でも、大阪の人間の母は、「はよ、言ってや!」と笑ってくれたかもしれない、と。
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