カキ漁師で森に木を植えた畠山重篤さん ― 2025/09/14 07:50
『おかえりモネ』という朝ドラがあった(2021年5月~10月)。 宮城の気仙沼湾の沖の島で育ったモネ(百音)が、東日本大震災を経験した後、高校卒業後島を出たい一心で登米市の山林地域の森林組合に就職する、そこで気象予報士や診療所の医師と知り合い、やがて気象予報士を目指し、人々の役に立つことを通して、故郷や大切な人々に未来と希望を届けていく物語だった。 安達奈緒子作、清原果耶主演。 実はモネ、東日本大震災の被災時、受験した高校の合格発表を父と見に行っていて、数日島にいなかったことに、複雑な思いを抱えていた。 牡蠣養殖を営む祖父、牡蠣の地場採苗の研究に取り組む妹、漁師になった幼馴染などとの会話から、漁業と天気の予測が密接に関わっていること、登米の山を豊かにすることが気仙沼の漁業にも繋がることを知るのだった。
畠山重篤さんが2025年4月3日に亡くなった時、5日の訃報には、カキ養殖漁師、NPO法人「森は海の恋人」理事長、肺血栓塞栓(そくせん)症で死去、81歳とあった。 私は、2003年に67歳という若さの兄を、同じ病気で突然失っていたので、強く感じるところがあった。
4月7日の「天声人語」。 「「森は海の恋人」。この魅力的なフレーズほど、畠山重篤さんの活動を見事に示すものはない。宮城県でカキを養殖する漁師でありながら、45歳で植樹を始めた。カキを育む海の養分は川がもたらす。ならば水源の森を豊かにしなくては。大漁旗を掲げてブナなどを植えた。」
「手探りの活動は間違っていなかった、と思えたのは9年後だ。リアス海岸という名が生まれたスペインを訪れ、そこでも「森は海のおふくろ」と言うのだと知った。教えてくれたムール貝の漁師と思わず握手した。著書『リアスの海辺から』には、その時の感動が詰まっている。」
「ひげもじゃの「カキじいさん」であり、海の生命の輝きを伝えるエッセイストであり、長靴を履いた教授でもあった。」
「東日本大震災の津波で多くを失いながらも植樹を続け、その数は約5万本にのぼる。36年にたる活動で海は変わった。だが一番の変化は人の気持ちだ、と書いている。「漁師が山に木を植えるということは、人の心に木を植えることでもありました。」試みは各地に広がった。」
「希望を忘れず、信念に従って、己の出来ることを一つずつ積みかさねる。その姿勢に、かの有名な言葉を思い出す。明日世界が滅びるにしても、今日わたしはリンゴの木を植える――。」
「植樹した木々は枝を広げ、湾内には藻が茂り、かつて活動に参加した子どもは大人になった。山に、海に、心のなかに、畠山さん、大きな森をありがとうございました。」
「ぜひ一生の心のよりどころのような形で学問をお続けください」 ― 2025/09/13 07:10
10日、秋篠宮家の悠仁(ひさひと)さまの成年を祝う昼食会で、お茶の水女子大付属小、中学校時代の悠仁さまを見守ってきた室伏きみ子・同大学前学長は「ぜひ一生の心のよりどころのような形で学問をお続けください」と伝えたという。
一昨日、「ワクワク「学ぶ」と、高齢でもつまらないということがない」と題して、Eテレ「100分de名著」『福翁自伝』第2回「自分を高める勉強法とは」について、こう書いた。 「一生の柱」、学ぶことを柱にしていたら、高齢になっても、つまらないということがない、勉強してみようという気になる。 「学び」を軸にした人生をみんなで歩んで行く、緒方の塾の塾生になった雰囲気で…。 それで思い出した言葉があった。
若い時に、西郷隆盛や吉田松陰や坂本龍馬が愛読したという、幕末の儒者、佐藤一斎の『言志四録』にある、この言葉を知って、感心した。 「少(わか)くして学べば壮にして成すあり。 壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽(く)ちず。」 若くして学んだろうか、壮年で学んだろうか、まことに怪しい。 今、老いが進んで朽ちかけているのだが、これからでも学べば、まだ希望があるのだろうか。
江戸の学び方「会読」、遊びの精神・異論尊重 ― 2025/09/12 07:00
4月に亡くなった、森に落葉樹を植え、養分を海に循環させて環境保全を行う運動をした畠山重篤さんのことを書こうと思って、新聞の切り抜きを「糠味噌」のようにかき回していたら、有田哲文記者の「日曜に想う」、「江戸の「会読」育まれた学び」(2024年12月29日朝日新聞)が出て来た。
江戸前期の儒者、伊藤仁斎(1627~1705)は、京都の町人の家に生まれ、若い頃から儒学に打ち込んだ。 家業を全くかえりみない姿勢は、周囲の批判を浴びる。 人間嫌いとなり、引きこもりがちになった。 しかしあるとき、人との交わりに学問の活路を見いだす。 それが「会読(かいどく)」で、友人たちと共に書経や易経などを読んだ。 一人が書物の意味を講じ、他の者が疑問点をただし、討論に至る。 講じる者が交代し、会読は続く。 この学習法は、仁斎の塾を超え、各地の私塾や藩校へと広がっていった。
江戸時代は武士と町人とを問わず、多くの人が儒学に専心した。 しかしその動機は、同じ文化圏である中国や朝鮮とは全く違っていた。 日本は、官僚登用のために儒学の知識を問う「科挙」を採り入れなかった。 それは学問が立身出世に直結しないことを意味した。 何もせずに身分制社会の中で草木のように朽ち果ててしまうのを拒否し、生きた証しを残したいと儒学を究めた人たちがいた。 彼らに教えを請い、自己修養をめざした多くの人たちがいた。 その学び方が「会読」だった。(前田勉愛知教育大学名誉教授『江戸の読書会』平凡社ライブラリー)
「科挙」受験のために一人で学ぶのとは違う世界が生まれた。 一つの特徴が「遊び」の要素で、誰が書物を深く読めるかを競い合った。 身分上下に関係なく、実利にもつながらないからこそ、熱くなれた。 もう一つの特徴は、異なる意見に出合い、そこから学ぼうとする姿勢だ。 加賀藩の藩校・明倫堂は学生に、明白な結論に至るため、虚心に討論しようと求め、みだりに自分の意見を正しいとし、他人の意見を間違いとする心を持つのは見苦しいとした。
共同研究の場でもある「会読」は、蘭学、国学、そして明治の初めには自由民権運動の学習結社にも引き継がれた。 しかし明治期は「会読」がすたれていく時代でもあった。 高級官僚を養成する東大を頂点として、学問が立身出世と直結したからだ。
前田さんは、「列強に追いつくためには必要だったのでしょう。しかし半面では、日本の学問が『科挙化』したともいえる。真剣に議論を戦わせながらも、お互いを認め合う『知の共同体』は忘れ去られていきました」と、言ったそうだ。
有田哲文記者は、おそらく「科挙化」は、いまも進行中なのだろうとし、既存の社会の在り方を絶対視するなら、学問の可能性は狭められる。 世襲にしばられた江戸の身分制社会のなか、そこから抜け出すための装置であった「会読」。 育まれた遊びの精神や異論の尊重には、いまも新鮮な響きがある、とした。
ワクワク「学ぶ」と、高齢でもつまらないということがない ― 2025/09/11 07:03
Eテレ「100分de名著」『福翁自伝』第2回は「自分を高める勉強法とは」、斎藤孝明治大学教授の解説。 福沢の青春は、とにかく勉強だった。 長崎で蘭学を学び始めるが、中津に帰されることになり一計を案じて、大坂にいた兄を頼って緒方洪庵の適塾で学ぶことになる。 これほど夢中になって、勉強を楽しむことができるのか。 知らなかったことを知る喜び、日々向上している感覚、「向上感」があると人は命が尽きるまでモチベーションを維持できる。 何のために勉強するのか、「学びの本質」が『福翁自伝』には書かれている。 適塾の勉強法は、素読(繰り返し声に出して読み、暗唱する)→講釈→会読(内容を解釈して説明)、身体を使って刻み込む、毎月六度ずつ試験があるようなもので、席次によって居る場所が決まっていた。 現在のわれわれ、情報は自分の外側を流れて行く、刻み込んでいない。 師の緒方洪庵は名医、大らかな人で、家族に接するようにしてくれた、福沢が腸チフスに罹った時、自分で治療せずに、朋友の医者に頼み任せている。 兄が死んで、一度中津に帰った福沢が書き写してきた、オランダの築城書を訳させることで学費の代りにしてくれた。 教育は素晴らしいと感じ、だから自分も慶應義塾を創ろうということになった。
適塾で、酒好きな福沢は、いったんは禁酒しようとしたが、その間に煙草を勧められ、一か月で「両刀遣い」となった、今日60余歳になり、酒は自然に止めたが、煙草は止められそうもない。 ざっくばらんで、率直。 くだらないことを楽しむ、「学ぶ」という確固たるものを持った仲間。
安政5(1858)年25歳で、中津藩の命令で、江戸で蘭学塾を開いた。 だが、翌年開港した横浜を見物すると、話は通じず、看板の字も読めない、オランダ語は時代遅れで、一切万事英語と知る。 なりふり構わず、翌日、英語に転向する。 「大局観」、「時代の見極め」。 英語もオランダ語も「等しく横文」、蘭書を読む力は、おのずから英書に適用して決して無理がない。 一つ突き抜けて学習方法をつかむと、他の勉強にもそれが役立つ。 技として身に付いているのが大事、自信をもって臨める。 福沢は、何かの為に勉強するのではなく、ただ知りたい、目的を持たずに勉強することが一番幸せだと説いている。
「西洋日進の書を読むことは、自分たちの仲間に限って出来る。智力思想の活発高尚なることは、王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六(むつ)かしければ面白い、苦中有楽、苦則楽という境遇。たとえばこの薬は何に利くか知らぬけれども、自分たちより外(ほか)にこんな苦い薬を能く呑む者はなかろうという見識で、病の在るところも問わずに、ただ苦ければもっと呑んでやるというくらいの血気であったに違いはない。」 目的もなく苦労する。
好きでやると、ワクワクする。 一生、ワクワクしたいから勉強したいとなっていく。 自分の好きなもの、「向上感」を持てるものを見つけよう。 「これがやりたいからやる」という気概で貫くことが新領域を開く。 斎藤孝さんは、大学院に8年在籍して、満期退学して、33歳まで無職だった。 だが、自分より勉強してる人間はいないと、誇りを持っていた。 「一生の柱」、学ぶことを柱にしていたら、高齢になっても、つまらないということがない、勉強してみようという気になる。 「学び」を軸にした人生をみんなで歩んで行く、緒方の塾の塾生になった雰囲気で…。 『福翁自伝』は、自分は今、学んでいるというエネルギーを感じる本であり、自伝でこれほど「学び」をテーマにした本はない。
Eテレ「100分de名著」『福翁自伝』第1回 ― 2025/09/04 07:03
9月1日のEテレ「100分de名著」『福翁自伝』の第1回は、「カラリと晴れた独立精神」だった。 解説は、斎藤孝明治大学文学部教授(教育学者)。 『福翁自伝』はトップクラスに面白い、まず、時代が幕末から明治という激動の時代、率直で嫌味がない。 口述筆記、喋ったのに手を入れた、そのバランスがいい。 硬軟取り混ぜた、最高の言文一致。
中津の少年時代。 「門閥制度は親の敵で御座る」 古い因習の社会に、「ノー」を突き付けている。 その怒りが、後年の自由平等思想につながる。 上士と下士の差から、解放されたいというエネルギーで、外に飛び出す。 その語り口は、精神を表している。 『増訂 華英通語』で、Vをヴで表したように、既存のものが無ければ、生み出せばいい、と。
藩主の名を書いた紙を踏んで叱られ、神棚の御札を踏み、何でもないので、少し怖かったが、さらに手洗場(ちょうずば、便所)で踏み、お稲荷さんの御神体の石を取り換えておく。 子供ながらも、精神をカラリとして、生まれつきの合理主義。 「仮説、実験、検証」の実証科学のプロセスを踏む、合理主義・科学主義が初めからあった。 権威に対して、疑いを持っている。 上から押し込めていく圧力に対して、「それをなくしても大丈夫なのでは」という実験をやり続けた人生。
拝領の御紋服の羽織より、金の方がよい、一両三分あれば、原書を買う、酒を飲む。 「カラリ」とカタカナで書いているので、湿度が低い。 日々変わる「心」でなく、「精神」という安定したもの。 学問も、ユーモアもある。
「喜怒色に顕さず」の「精神」を、練習して、手に入れた。 格言→心の技→精神。 他人の価値観に左右されない。 自分は、ここにいるんだ。 「独立自尊」。
「浮世のことは軽く視る」 中津の時代から成年になるまで、「莫逆の友(親友)」はいない。 他人に傷つけられない。 少年時代から、確固たる存在。
『福翁自伝』の少年時代からは、「カラリ」とした精神的独立を学べればよい。 幕末明治初期の時代と、超グローバル社会の今とは、よく似ている時代だ。 福沢諭吉は、明るく、ポジティブ、アクティブに生きていくロールモデルだ。
最近のコメント