ワクワク「学ぶ」と、高齢でもつまらないということがない ― 2025/09/11 07:03
Eテレ「100分de名著」『福翁自伝』第2回は「自分を高める勉強法とは」、斎藤孝明治大学教授の解説。 福沢の青春は、とにかく勉強だった。 長崎で蘭学を学び始めるが、中津に帰されることになり一計を案じて、大坂にいた兄を頼って緒方洪庵の適塾で学ぶことになる。 これほど夢中になって、勉強を楽しむことができるのか。 知らなかったことを知る喜び、日々向上している感覚、「向上感」があると人は命が尽きるまでモチベーションを維持できる。 何のために勉強するのか、「学びの本質」が『福翁自伝』には書かれている。 適塾の勉強法は、素読(繰り返し声に出して読み、暗唱する)→講釈→会読(内容を解釈して説明)、身体を使って刻み込む、毎月六度ずつ試験があるようなもので、席次によって居る場所が決まっていた。 現在のわれわれ、情報は自分の外側を流れて行く、刻み込んでいない。 師の緒方洪庵は名医、大らかな人で、家族に接するようにしてくれた、福沢が腸チフスに罹った時、自分で治療せずに、朋友の医者に頼み任せている。 兄が死んで、一度中津に帰った福沢が書き写してきた、オランダの築城書を訳させることで学費の代りにしてくれた。 教育は素晴らしいと感じ、だから自分も慶應義塾を創ろうということになった。
適塾で、酒好きな福沢は、いったんは禁酒しようとしたが、その間に煙草を勧められ、一か月で「両刀遣い」となった、今日60余歳になり、酒は自然に止めたが、煙草は止められそうもない。 ざっくばらんで、率直。 くだらないことを楽しむ、「学ぶ」という確固たるものを持った仲間。
安政5(1858)年25歳で、中津藩の命令で、江戸で蘭学塾を開いた。 だが、翌年開港した横浜を見物すると、話は通じず、看板の字も読めない、オランダ語は時代遅れで、一切万事英語と知る。 なりふり構わず、翌日、英語に転向する。 「大局観」、「時代の見極め」。 英語もオランダ語も「等しく横文」、蘭書を読む力は、おのずから英書に適用して決して無理がない。 一つ突き抜けて学習方法をつかむと、他の勉強にもそれが役立つ。 技として身に付いているのが大事、自信をもって臨める。 福沢は、何かの為に勉強するのではなく、ただ知りたい、目的を持たずに勉強することが一番幸せだと説いている。
「西洋日進の書を読むことは、自分たちの仲間に限って出来る。智力思想の活発高尚なることは、王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六(むつ)かしければ面白い、苦中有楽、苦則楽という境遇。たとえばこの薬は何に利くか知らぬけれども、自分たちより外(ほか)にこんな苦い薬を能く呑む者はなかろうという見識で、病の在るところも問わずに、ただ苦ければもっと呑んでやるというくらいの血気であったに違いはない。」 目的もなく苦労する。
好きでやると、ワクワクする。 一生、ワクワクしたいから勉強したいとなっていく。 自分の好きなもの、「向上感」を持てるものを見つけよう。 「これがやりたいからやる」という気概で貫くことが新領域を開く。 斎藤孝さんは、大学院に8年在籍して、満期退学して、33歳まで無職だった。 だが、自分より勉強してる人間はいないと、誇りを持っていた。 「一生の柱」、学ぶことを柱にしていたら、高齢になっても、つまらないということがない、勉強してみようという気になる。 「学び」を軸にした人生をみんなで歩んで行く、緒方の塾の塾生になった雰囲気で…。 『福翁自伝』は、自分は今、学んでいるというエネルギーを感じる本であり、自伝でこれほど「学び」をテーマにした本はない。
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