司馬遼太郎『この国のかたち』、自作「索引」ノート ― 2026/02/27 07:09
例えば、「あ」は、下記のような項目を挙げている。
会津 ⑤75 県立のユニークな単科大学 ⑤83
青木周蔵(1844-1914) ①247
秋田実「耳はばかですから」「目は、そうはいかない。じつにうるさい」 ⑥119
足利将軍家 ④21
足利義政(1436-90)「いきな将軍」 ①227
安曇(アヅミ)氏 ④55
鐙(あぶみ) ④11
アヘン戦争 ④105
阿弥陀経 ③250
阿弥陀如来 ②75
新井白石 ①163 ②24
有馬頼義 ①94
安藤昌益 ①100
それぞれ、興味ひかれるけれど、一番は「秋田実」だろう。 さっそく、文庫本の第6巻119ページを見てみた。 「言語についての感想(四)」である。
「「耳はばかですから」
と、むかし、酒を飲む席で、秋田実氏がいわれた。この人は、いまは亡い。昭和初年に東京大学を出ると、大阪にもどってきて、旧弊なマンザイを一新した人である。万歳を漫才という文字に変えたのもこの人だったと思うが、漫才はむしろ論理やつじつまが飛躍しなければならない、飛躍のあざやかさこそ漫才の本領なんです、と秋田さんはいわれた。ラジオの漫才を聴いている人は、たとえば毛糸編みの編み目をかぞえながらでも、聴くことができる。耳というのは言葉についてそれほど許容量のおおきいものです、といわれた。
「目は、そうはいかない。じつにうるさい」
この人は、日本で最初に漫才の台本を書いた人であり、かつべつに著作がある。耳と目の両方の言語世界を往復されていた人だった。
そのころ、私は幕末から明治にかけての噺家で、不世出の名人と言われた三遊亭円朝(1839~1900)のことが知りたくて、古本で『円朝全集』(昭和2年・春陽堂)十三巻を買い、なんとか読もうとしていた。しかし読みづらかった。この描写の名人が、精魂を傾けた描写の下りがふんだんにあるのだが、それが活字になってしまうと死物になっていて、イメージをどうにも結びにくい。また作品の中には日本的な陰湿さをもった悪漢文学(ピカレスク)が多いのに、そのモラルの〝ひだ〟(傍点)までが、読むという感覚では、とらえにくかった。」(中略)
「(やはり、円朝は聴くべきものだったのだ)
と、私は秋田さんの話によって、平凡な発見ながら、驚きとともに思った。円朝ほどのすぐれた言語的展開でもそのまま文章にひきうつされると、こうまで生彩をうしなうものかと、むしろそのことに関心をもった。」
私が「等々力短信 第1200号」で自慢した、マクラから落ちまで書いている落語研究会の聞き書きは、司馬さんなら何点ぐらいくれるのだろうか。
この3年の「等々力短信」、ご感想やご意見を ― 2026/02/26 07:17
2023(令和5)年
第1163号 2023.1.25. 名もなき小さきものの視点で/渡辺京二92歳/石牟礼道子/人間は土地に結びついている
第1164号 2023.2.25. 鎌倉の友達/扇ヶ谷の家、輝ける高校時代の日々/しっかりとして大人びた福原隆史君の訃報
第1165号 2023.3.25. 名和未知男句集『妻』/「草の花」主宰/枕詞、忌日の句多彩で文化史、突然妻を喪くした句
第1166号 2023.4.25. 絵本が生まれるとき/「末盛千枝子と舟越家の人々」展/それぞれの活動の見事な足跡
第1167号 2023.5.25. 世界の人が行きたい盛岡/末盛千枝子著『出会いの痕跡』/10歳までのかけがえのない盛岡
第1168号 2023.6.25. どういう殿様、中津藩主奥平氏/大河『どうする家康』/武功で譜代大名に/亀姫の輿入れ
第1169号 2023.7.25. 耶馬渓競秀峰/下に「青の洞門」/福沢風景保存に土地買収、ナショナルトラストの先駆け
第1170号 2023.8.25. 松戸の戸定邸(とじょうてい)/徳川慶喜の弟・昭武、明治17年別邸と洋風庭園に隠居
第1171号 2023.9.25. 山田洋次監督の“母もの”/『こんにちは、母さん』/実母は60代で三度目の結婚、後悔なし
第1172号 2023.10.25. 小泉信三さんの「鏡花と滝太郎」/福沢協会の旅行で金沢へ/鏡花の遺品が慶應にある訳
第1173号 2023.11.25. 徳川慶喜家の「墓じまい」/家を継ぐ男子なく玄孫山岸美喜さんが管理/個人の財力では無理
第1174号 2023.12.25. 本井英句集『守る』を読む/第六句集、咽頭癌発覚後の試練の時期、8年間の306句
2024(令和6)年
第1175号 2024.1.25. 無性に知りたい芋づる式/今村翔吾朝日新聞連載『人よ、花よ、』/羽林家、公家、摂家
第1176号 2024.2.25. 元禄地震 房総沖巨大地震と大津波/古山豊編著、高校校長の研究/第一級史料柳沢吉保日記
第1177号 2024.3.25. 『池大雅―陽光の山水』展/大雅と蕪村の国宝《十便十宜図》/日本各地名所の自然を描く
第1178号 2024.4.25. 学際と雑学『ブラタモリ』/日本の文化と産業に地形と地質が密接な関係/学際的交流必要
第1179号 2024.5.25. チャーチルとケネディ駐英大使/広谷直路『「泣き虫」チャーチル 大英帝国を救った男の物語』
第1180号 2024.6.25. 『新編 虚子自伝』(岩波文庫)を読む/自ら信じてきた道を歩んできた自由人のありのまま
第1181号 2024.7.25. 『題名のない音楽会』雅楽由来の言葉/カニササレアヤコ/音頭、塩梅、野暮、やたら、千秋楽
第1182号 2024.8.25. 黒井千次さんの『老いの深み』/92歳九つ上/身に沁みることばかり/家に老化監視人
第1183号 2024.9.25. 田中優子・松岡正剛『日本問答』/松岡さん8月80歳で死去/驚くべき指摘の連続
第1184号 2024.10.25. 終の棲家/父が住む家は自分で確保しろと/広尾、等々力、奥沢/手すりが有難くなる
第1185号 2024.11.25. 『おきざりにした悲しみは』/原田宗典著/93歳の母を車椅子で病院へ/三好達治「乳母車」
第1186号 2024.12.25. 最近気になるCMやニュース/リースバック、94.9%の医者推薦、不起訴理由、米の値段
2025(令和7)年
第1187号 2025.1.25. 正面に岩手山が見える家/舟越保武と子どもたち/山荘を建てる機縁の親友を知っていた
第1188号 2025.2.25. 等々力短信五十年、量と質/量が質に転化したか?/短信とブログのINDEXを検索する
第1189号 2025.3.25. 蔦屋重三郎のサロン/「座」「連」で作られる日本文化の特徴/時代の空気を濃く受けた「ノリ」
第1190号 2025.4.25. 酒井抱一、風雅に遊ぶ自由を得る方法/丸谷才一「花野」/姫路の殿様次男、武士から逃避
第1191号 2025.5.25. 咸臨丸の一生/志摩泰子著『関寛斎評伝 医は仁なり』/長く関寛斎を調査し、幕末史も渉猟
第1192号 2025.6.25. 小林一三の「平凡主義礼賛」/自ら平凡な民衆の一員となって働く間に、一頭地を抜く
第1193号 2025.7.25. 戻ってきた権太楼の「代書屋」/食道癌ステージ4から/何が何でも高座に上がりたかった
第1194号 2025.8.25. 福沢諭吉は面白い/都倉武之『メディアとしての福沢諭吉』/「交通」(文明開化)を最大化
第1195号 2025.9.25. 池田弥三郎の生涯、日本の未来/長男池田光璢さんの論考/人間と自然が一体、「日本語人」
第1196号 2025.10.25. ゴッホの手紙/弟テオの妻ヨー・ボンゲル/兄弟の手紙を編纂出版、義兄の作品を世界に広める
第1197号 2025.11.25. 『アメリカ史とレイシズム』/中條献著/合衆国の起源、1619年アフリカからの奴隷陸揚げ
第1198号 2025.12.25. 「笑門来福」一之輔のマクラ/日本舞踊の稽古/映画『国宝』/父母はサンタを信じていた
2026(令和8)年
第1199号 2026.1.25. MAGA MAGAしいアメリカ/2期目トランプ大統領、民主主義の試練/福沢「権力の偏重」
第1200号 2026.2.25. 等々力短信 第1200号/1975年2月創刊、51年目に入る/ブログと共に「戯去戯来自有真」
等々力短信 第1200号<等々力短信 第1200号 2026(令和8).2.25.> ― 2026/02/25 07:10
去年が昭和100年、戦後80年だったから、今年は昭和101年、戦後81年になる。 1975(昭和50)年2月25日に「広尾短信」として創刊した「等々力短信」は、ここに51年目に入り、1200号を迎えた。 2000(平成12)年末で家業のガラス工場の火を落としたので、それまで月三回5日、15日、25日に発行していたのを、2001年1月の899号から25日の月一回にした。 以後25年、この号が302回目の発行になる。
苦しい時期だった2001年4月には、多くの皆様のご支援を得て、681号~890号を収録した私家本『五の日の手紙4』を刊行することができた。 「まえがき」に、「その時、その時に、面白いと思ったことを書き付けてきた。塵も積もれば山となる。二十五年の実績が、その量に質を与えることができたか。十日に一度の発行が、たえずアンテナを張っていることを求め、そのおかげで、「等々力短信」がなければ、記録できなかったことどもを、記録してきたということだけは、いえるかもしれない」とある。
一方、1991(平成3)年3月から、パソコン通信「朝日ネット」にフォーラム「等々力短信・サロン」を設けてもらい、短信を配信するほか、いろいろなことを書いていたが、閑居生活も落ち着いてきた2001年11月29日から<小人閑居日記>を書き始め、「朝日ネット」がインターネットのブログを開設したので2005年5月14日からブログ「轟亭の小人閑居日記」にした。 毎日書いていて、ざっと9,000位にはなっている勘定だ。 ブログの「索引」から、探してもらえば、ネットでスマホでも読める。
会社の整理と清算が一段落した頃、出入りの大工さんに、「これから何をやるんですか」と聞かれた。 「何もしない」と答えた。 今年の年賀状の添え書きに「働かず×5、今がある 人生論之概略」と書いた。 言わずと知れた高市早苗総裁の「働いて、働いて、働いて、働いて、働いて参ります」を踏まえている。 「短信」と「小人閑居日記」に、何を綴ってきたか。 主なるものは、福沢諭吉と落語。 「人生論之概略」は『文明論之概略』のもじり、気持は「戯去戯来自有真」で、人生は本来すべてが戯れにすぎないけれど、この世の中を軽く見ることによって、かえって世の中に真剣に自由に全力をもって向き合うことができるという。 落語は、1968(昭和43)年の第1回から通っている落語研究会というホール落語(この1月で692回)で、近年は5人の高座をマクラから落ちまで書いているから、平成から令和にかけての落語家は、どんな噺をしていたのか、一つの記録にはなるかと思う。 まさに「戯去戯来」、何もせずに、生かしてもらっている、その暇な時間に、面白いと思ったことを綴っているのが、感謝の印である。 惚けるまで、「まさかの時」まで、続けられたら有難い。
映画『必死剣 鳥刺し』「池脇千鶴の里尾、一夜一生」 ― 2026/02/24 07:07
映画に戻ろう。 『必死剣 鳥刺し』で、藩主の愛妾連子を刺殺した兼見三左ェ門、切腹は当然だが悪くすると斬首、縛り首の刑も覚悟していた。 だが、一年の閉門、二百八十石の禄を百三十石に減らし、物頭免職というだけの処分だった。 側室を原因とする失政に手を出せないため、藩中に充満していた重苦しい空気は、一掃された形にはなったのだけれど…。
兼見は妻睦江(戸田菜穂)を亡くしていて、その死を看取った姪の里尾(池脇千鶴)と、婆さん女中のはな(木野花)の三人暮しになる。 中間と若い女中には暇を出した。 里尾は、一度家中に嫁いだが、不縁となり、弟の継いだ実家でなく、叔母の看病に来た兼見の家に居付いた。 里尾は、魚を届けてきた釣好きの親戚兼見伝一郎(高橋和也)に、「おじさまは、自分の死に場所を見つけるため」だったと思う、と言う。 葉隠の「武士道と云ふは死ぬ事と見付たり」。 里尾は一室に蟄居して、鳥の木彫などする兼見に尽し、季節は夏から秋、冬とめぐり、はなはその味噌汁を「亡くなった奥様の味に似て来ましたのう」という。 一年が経ち、閉門御免、風呂で里尾に背中の一年分の垢を流してもらった兼見は「難儀をかけたな」、「今しばらく一人で御領内を歩いてみようと思う」という。
池脇千鶴の里尾、一夜一生<小人閑居日記 2013.5.29.>
池脇千鶴という女優、何年か前に「のどごし<生>」というビールの、元気あふれるCMで名前を憶えた。 一転『必死剣 鳥刺し』の里尾役、いつもきちんと着物を着て、口数も少なく家事や庭の畑仕事をこなし、叔父への恋慕の情を秘めている。 適役、好演といえよう。 好きでないと書いた豊川悦司も、案外清潔で、寡黙ながら信念を持ち、藩を救うためなら命をも辞さない兼見三左ェ門は、なかなかよかった。
中老の津田民部が、兼見三左ェ門を厳罰にせず、近習頭取の役に復活させたのには、意図があった。 兼見が天心独名流の剣の達人で、鳥刺し、別名必死剣と呼ぶ必勝の秘伝を遣う唯一の人物だと知ったからである。 藩主の血縁で「御別家様」と呼ばれる帯屋隼人正(吉川晃司)は、多年右京太夫の失政を非難し続けて来ており、連子の件で直接藩主を諌めた唯一の人物でもあった。 帯屋家は、もともと赤石郡の土豪で、海坂藩主がこの地に封じられた時、召し出されて家老を勤めた。 藩主は帯屋家と縁組して、取り込む一方、家格を家老職にとどめたまま無勤とした。 帯屋隼人正は、直心流を遣って名手といわれている。 その帯屋が藩主を襲うかもしれないという心配が出て来たのだ。 津田は、「必勝の剣を、お上のために役立てろ、兼見」と、言った。
兼見三左ェ門は、閉門につづく逼塞の暮しを里尾によりかかって生きて来た。 その娘ざかりを喰いつぶしてきたという思いから、もと同じ物頭で今は隠居している保科十内(小日向文世)に縁談を頼むと、普請組の牧藤兵衛を同道して兼見の家を訪れる、お見合いのようなことがあった。
風呂で背中を流してくれる里尾に「そなたが背中を洗ってくれるのが、あまりに心地よくてつい甘えておったが、今夜かぎりじゃな。今後は無用にいたせ」。 牧をどう思ったか聞くと、里尾は「私は嫁になど、行きたくはございません」という。 いつ殿を襲って来るかも知れない帯屋隼人正のことを考え、「わしに万一のことがあった場合……嫁に行くしかないぞ、里尾」。 不意に三左ェ門は、濡れた背に、熱い頬が押しつけられるのを感じた。 「おじさまの、おそばにいたいのです。いつまでも」
翌朝のことを、藤沢周平は「ただ一夜で、里尾は魅惑に満ちた女に変っていた。眼はいきいきと光り、小さくひきしまった唇が濡れている。」と書く。
「鶴羽村に知り合いの家がある。手紙を書くゆえ、それを持ってそこへ行け。時期がくれば迎えに行く」「必ずと約束して下さい」「必ず迎えに行く」
武士の愛と自由<小人閑居日記 2013.5.30.>
『必死剣 鳥刺し』の結末、賢明な読者はすでにおわかりだろう。 帯屋隼人正が藩主に会わせろとやって来て、兼見三左ェ門が立ち塞がる。 チャンバラになる。 兼見は左手を斬られるが、帯屋を斃す。 すると津田民部は「兼見が乱心の上、御別家様を斬った」と叫ぶ。 津田の手の者等が大勢隠れていて、乱戦の末、メッタ刺しにされて兼見は座り往生する。 近づく津田、「必死剣 鳥刺し」とは何であったのかが、ここで明らかになるのだ。
鶴羽村は、祭りであった。 里尾は、毎日そうしているように、赤ん坊を抱いて、村はずれまで、迎えに出ている。 「今日もいらっしゃらなかったのね」と帰って行くところで、映画は終わる。
里尾は、三左ェ門との暮しや一夜の歓喜の記憶と、その子を産み育てる喜びだけで、生きていけるのだろうか。 母と子はこの村に根をおろしていくのだろうか。 いかにも里尾が哀れである。 津田民部の陰謀に気づかなかったのは不覚だったが、海坂藩士兼見三左ェ門に、別の選択はなかったのだろうか。
山田洋次監督が、藤沢周平の同じシリーズから映画化した『隠し剣 鬼の爪』(2004年)では、幕末海坂藩の平侍片桐宗蔵(永瀬正敏)が、もと自家の女中をしていた百姓の娘で、油問屋に嫁いだきえ(松たか子)と再会し、酷い扱いを受けていたきえを救い出す。 宗蔵は、藩内の騒動に巻き込まれて「隠し剣 鬼の爪」を遣った後、きえを愛する自分に誠実に生きる決意をする。 ここで山田洋次監督は、藤沢周平原作にはない、武士が藩や身分の枠を越える自由への飛躍を付け足した。 武士を捨てて、蝦夷に向う宗蔵は、一緒に来て欲しいときえに話すのだった。
映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」 ― 2026/02/23 07:03
<小人閑居日記>は、足かけ25年になるから、いろいろなことを書いてきた。 藤沢周平についても、映画は『蝉しぐれ』『秘太刀(ひだち) 馬の骨』『隠し剣 鬼の爪』『必死剣 鳥刺し』から、作品は直木賞『暗殺の年輪』、北斎を描いた『溟い海』、藤沢周平を描いたテレビドラマまで。 その中で、朝ドラ『ばけばけ』で、松野トキ(髙石あかり)の母フミを演じている池脇千鶴が『必死剣 鳥刺し』に出ていたのを「池脇千鶴の里尾、一夜一生」と特筆していたので、長くなるが、その一連を紹介したい。 まず、映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」と、三田の演説館での日本における拍手の起源から。
映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」<小人閑居日記 2013.5.27.>
5月4日に、BSプレミアムで放送された映画『必死剣 鳥刺し』を見た。 2010年、平山秀幸監督作品。 藤沢周平の原作である。 映画館で観なかったのは、主演の豊川悦司が好きでなかったからかもしれない。 桜満開の海坂藩城中、能舞台春楽殿での能から始まる。 エンドロールによると、能「殺生石」で、演じたのは梅若研能会、シテ梅若紀長。 海坂藩主右京太夫(村上淳)、側妾(そばめ)連子(れんこ)(関めぐみ)、中老の津田民部(岸部一徳)を始めとする執政の重臣たちから、物頭(ものがしら)保科十内(小日向文世)・兼見三左ェ門(豊川悦司)など家臣、奥御殿の女性たちが居並んで能を観ていた。 能が終わると、まず連子が拍手した。 すると、藩主右京太夫が拍手し、それを見て、一同が拍手した。 あとでわかるのだが、この冒頭シーンは物語の深い事情を象徴していた。 藩主は才色兼備で政治好きの愛妾にぞっこんで、藩政に連子の意見を採用するため、執政たちは口出しできず、明白な失政が表面に出てきていた。 藩財政が苦しい中、廃寺が復興され、大伽藍が出来ると、その寺を宰領したのは連子の父だった。 執政会議に出された倹約令の提案は、ことごとく否決された。 連子は藩主の執務部屋にも顔を出す。 奥御殿の経費を削った勘定方の安西(どこかで見た顔だと思ったら落語家の瀧川鯉昇)は切腹させられた。 そういう状況での、側妾の拍手に続く藩主の拍手、そして一同の拍手だった。
私は、この拍手に違和感を持った。 江戸時代に拍手はなかったはずだ、と思ったのである。 藤沢周平の原作を見たが、拍手はなかった。 「拍手は三田の演説館から始まった」と、どこかで読んだ記憶があった。 探すと、桑原三郎先生の『福澤先生百話』(福澤諭吉協会叢書・1988年)の「第七五話 三田演説館」だった。 「皆さんは、人の話を聞いた後で、よく拍手するでしょう。あの拍手も、三田演説館から日本中に広まったものなのです。」
能を観終わった人びとが、藩主を筆頭に、橋廊下を退場する。 艶やかに着飾った連子が橋廊下にかかった時、兼見三左ェ門が近寄り、柱に押しつけるようにして、その胸を小刀で刺した。 覚悟の兼見は、その場に控えた。
君側の奸(姦)を斬る<小人閑居日記 2013.5.28.>
側室に藩主がぞっこんで、藩政に口出しさせることは、よくあったようで、小説のよい材料だ。 幕府が諸大名の正室と嫡子を人質として江戸に留め置いたこと、藩主が急死して世継ぎがなければお家断絶となることが、その背景にあった。 今、宮部みゆきさんが朝日新聞朝刊に連載中の『荒神』でも、東北の香山藩主瓜生久則の側室、由良が「張り子のように中身のない女」なのに、「御館様(みたてさま)」と呼ばれて、恐れられている。 藩主の小姓、小日向直弥の家が、下手をすれば取り潰しに遭いかねない状況にある。
由良といえば、幕末薩摩の「お由良騒動」を思い出す。 側室が自分の子に殿様の跡を継がせようとすると、お家騒動になる。 薩摩では、藩主島津斉興(なりおき)・家老調所広郷(ずしょひろさと)が世子斉彬(なりあきら)と対立した。 調所は斉興の側室お由良の方の子忠教(久光)を世子としようとし、嘉永2(1849)年斉彬派の家臣は忠教暗殺をはかり発覚、切腹・遠島などの弾圧を受けた。 のちに幕府の介入で、斉興は隠居し、斉彬が藩主となる。 斉彬の急死後、久光が藩主忠義の実父として藩政を掌握し、幕末薩摩の活動の上に立つ。
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