山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』2026/02/21 07:09

 <小人閑居日記>は、パソコン通信時代の朝日ネットのフォーラム「等々力短信・サロン」に、2001年11月29日に書き始めた。 ブログ「轟亭の小人閑居日記」になったのは、2005年5月14日からである。 まだ初期で、ブログでは読めない頃に、「『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』」と、「『たそがれ清兵衛』と黒澤明」を書いていた。 その時に観た山田洋次監督初の時代劇映画『たそがれ清兵衛』の原作は、藤沢周平の三作品「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人(ほいと)助八」だった。 昨2月20日までのNHK FM「朗読の世界」で、中原丈雄が最後に読んだのは、その「祝い人(ほいと)助八」であった。 <小人閑居日記>の「『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』」と、「『たそがれ清兵衛』と黒澤明」を、二日にわたり再録させてもらう。

    『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』<小人閑居日記 2002.12.4.>

 山田洋次監督初の時代劇映画『たそがれ清兵衛』を観た。 舞台は海坂(うなさか)藩、藤沢周平さんの三作品を原作としているから、月山や鳥海山を望む風景も、「で、がんす」という言葉も、父方のルーツの地である山形庄内の鶴岡のもので、なつかしい感じがすると同時に、観終って、父に観せたかったという思いにとらえられたのであった。

 清兵衛(真田広之)は五十石取の下級武士である。 それも二十石は借上げ(諸藩が財政窮乏のため、家臣に対して知行高や扶持高をへらしたこと)だったから、実質三十石だった。 長く労咳を患って死んだ妻の治療費や葬式代のための借金を抱え、たそがれとともに酒の誘いなどには付き合えず帰宅、夜遅くまで内職の虫籠づくりをしながら、もうろくした母と幼い二人の娘の面倒をみて、ひどく貧しく暮している。 すぐ思い出すのは、中津藩の下級武士だった福沢諭吉の家の暮しである。 十三石二人扶持というから、「たそがれ清兵衛」よりも、たそがれている。 『福翁自伝』には、少年時代からなんでも自分でやり、下駄づくりや刀剣の細工の内職をしたことが書かれている。

 山田洋次監督は、ほんの少し前の祖先である幕末の下級武士の暮しがどんなものか、そんな辛い環境で暮しながら、どこか凛としていた姿を、リアルに描きたかったのだという。 監督の祖父は、九州の小さな藩の下級武士の息子だったのだそうだ。 たそがれ清兵衛の親友で、宮沢りえの演じた飯沼朋江の兄、倫之丞役の吹越満は撮影前に、山田監督から『福翁自伝』を渡されたという。 吹越満は「幕末の山形では、江戸や京都で何が起っているか普通の侍はまだ気づいていないけれど、僕が演じる飯沼は情報を仕入れてきて、「このままじゃ駄目だ」と言う。 これは諭吉と同じようなものをきちんと背負っている、ということだと思うんですが。 この本は読み物として面白かったですね」と語っている。 私は監督が読ませた意図は、下級武士の暮しの方に力点があったと思うのだが、監督の念頭に『福翁自伝』があった証拠として、このプログラムにある話は面白い。