長崎は長い岬、坂は居留地、平地は埋立 ― 2015/04/22 06:37
復活「ブラタモリ」、4月11日土曜日の第一回は、長崎編 #1。 長崎は新婚 旅行で行ったきりだ。 グラバー邸にも行ったが、どうやって行ったか、すっ かり忘れてしまった。 坂を登ったという記憶はない。 「ブラタモリ」、長崎 は坂の町だという話から始まり、グラバースカイロードなるものを見上げる。 今ではグラバー園へ行くのに、大浦の石橋電停から、斜行エレベーターと垂直 エレベーターで昇る。 途中に二つ、展望用の円形のスカイロードがあるよう だ。 斜行エレベーターの外壁には、丸窓があって景色が見える。
長崎は、その名の通り、長~~い岬の突端だった。 横浜が、釣鐘形の湾の 入口に横たわっていた砂洲だったことを思い出す。 一番最後の案内人として 出てきた丸山の料亭青柳の若旦那で、長崎史研究の私家本もある山口広助さん は高低差好きのタモリに、長崎の平地は埋立地だといい、地図に曲線で残る「長 ~~い岬」の海蝕崖の、名残りの石垣を町中で案内して回った。 440年前の 元亀2(1570)年にポルトガル船が入港以降、海外貿易港として発展したのは、 湾の奥、岬の陰の船着場だったそうで、「船津町」という旧名にそれが偲ばれる。 石橋電停あたりに橋はなく、道路が盛り上がっていて、大型車は通行禁止だ。 暗渠になっている大浦川に、開口部からもぐると、アーチ橋の「石橋」(明治 19年架橋?)が道路を支えていて、地名の由来とわかった。
最初の坂の町の話にもどると、住宅は山腹から山頂の平坦部に及んでいるが、 当初は段々畑だったところが居留地になり、グラバー邸のような家が建ってい った。 タモリたちは居留地だった洋館の一軒に入って、ベランダから港の景 色を眺めた。 ドンドン坂という坂を下ると、側溝がコンクリート製でなく、 石をくり貫いたV字溝や三角溝の古い物だった。 ごみ収集に階段を引っ張っ て下ろす、底に木のソリをつけたプラスチック箱が面白い。
「ブラタモリ」大好きという長崎市出島復元整備室の若い女性が飛び出して 来て、出島を案内した。 寛永13(1636)年ポルトガル商人を置くために造 成した約4千坪の扇形埋立地、ポルトガル船渡航禁止後、寛永18(1641)年 平戸のオランダ商館を移転させた。 鎖国中の日本唯一の西欧との貿易地であ る。 長崎市は、19世紀初頭の出島を甦らせるため、発掘作業や建物復元を進 めている。 現在、出島周辺は埋め立てられてしまって地続きになっているが、 橋を渡って入った島であった痕跡、船が着いた西側の水門の岸壁や周囲の壁が、 一部ガラス張りのスケルトンになって見られるようになっていた。 発掘作業 の現場では、古伊万里やVOC(オランダ東インド会社)のマークのある陶器片、 牛や豚、犬や猫の骨が出て来る。 土器や陶器に当てて、その形を写し取る道 具を、真弧(まこ)というのを、初めて知った。 タモリが掘り出した陶器片 は、後で古伊万里の「染付金彩蓮弁文輪花深鉢」と判ったという。
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