民芸をプロデュースした吉田璋也2015/04/28 06:25

 安西水丸さんは『ちいさな城下町』の米子市(鳥取県)に、民芸のことを書 いている。 柳宗悦(むねよし)の民芸運動は無銘の雑器の美を問いつづけた のだが、その運動から生まれた優れた陶芸家、濱田庄司、河井寛次郎、バーナ ード・リーチの製品が実に高価だということに、少し(もしかしたら大きく) 矛盾を感じている、という。 よく民芸店などで器を買ったりするのだが、気 に入ったものがあって、それが六千円だとしても、作り手が濱田庄司や河井寛 次郎となると、同じようなものでも、六十万はするのだ、と昨日書いたテレビ 番組で猿之助が言っていたのと同じことを言っている。

 水丸さんは、そんななかで、一人地道に民芸を指導した人物がいるとして、 挙げているのが吉田璋也(しょうや)で、岡山県高梁(たかはし)市の回でも 重ねて紹介している。 鳥取市本町で耳鼻咽喉科の医師をしていたが、山陰の 陶芸家や染色家、木工家が、奇妙な芸術性に傾いていくことを戒め、民芸とし ての作品作りを的確に指導した。 陶器や木工品を作っても売れなければ作り 手は困るわけで、昭和7(1932)年、鳥取駅近くに「たくみ工藝店」(柳宗悦の 命名)という民芸店を開店させ、流通を図った。 その隣にある山陰の民芸品 を展示した「鳥取民藝美術館」(昭和24年「鳥取民藝館」として開館、翌年改 称)の開館にも尽力した。 「銀座たくみ」が、鳥取「たくみ工藝店」の成功 を受け開店したことは、昨日書いたが、それも吉田璋也が「たくみ工藝店東京 支店」として開店させている。

 水丸さんは、今、山陰は日本有数の民芸地帯であるが、これもたった一人の 吉田璋也のプロデュース力といってもいいすぎではない、という。 陶芸家に 限らず、職人と呼ばれる人たちは、しっかりとした技術は持っているものの、 果して彼らにセンスがあるかとなると実に不安である。 例えば、そこで如何 にいい土が採れようと、如何に陶芸に長い歴史を持った土地であろうと、作り 手にセンスがなければ、ただ奇妙きてれつな製品が多く産出される結果で終る だろう、という。 そして、美を見つめる目を持ち、多くの民芸作家を育てた 人物となると、柳宗悦も濱田庄司も河井寛次郎もバーナード・リーチも、吉田 璋也には及ばない、水丸さんは言いきるのだ。

 安西水丸さんが仕事で使っている椅子や箪笥、ビューロー、酒器などは、吉 田璋也の指導により作られた製品が多い、と書き、こんなエピソードまで紹介 している。 吉田璋也は、軍医として従軍した中国から、現在のしゃぶしゃぶ 料理の源流となる羊肉の「すすぎ鍋」(日本人向けに牛肉に改良)という料理を 持ち帰っている、と。