又吉直樹と『文藝春秋』9月号巻頭随筆から ― 2015/08/26 06:30
世間が夏休みの時期に、いつもの床屋へ行った。 珍しくというか、やはり というか、少し待つことになった。 ふだん週刊誌の積んであるテーブルに、 珍しく『文學界』の9月号がある。 ピース又吉直樹の芥川賞受賞は、こんな ところにまで影響していたのだ。 又吉直樹の「芥川龍之介への手紙」を読む。 又吉さんと書くと、又吉先生と言うのと同じような気がするので、そのままに する。
又吉は、そもそも、道徳というものを根底から疑っていたという。 芥川の 『侏儒の言葉』で、「道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。」 に出合い、ずいぶん楽になったそうだ。 『侏儒の言葉』の「芸術の鑑賞は芸 術家自身と鑑賞家との協力である。云わば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身 の創作を試みるのに過ぎない。」や、滝沢馬琴を描いた『戯作三昧』から、悪評 さえ創作的動機にするという創作に賭ける覚悟、創作に没頭する時間、「人生」 の輝きについて、述べていた。
まだ時間があったので、映画『この国の空』の女優二階堂ふみが語っている のを読む。 若いのに、いろいろな本を読み、古い映画も見て、深く考えてい るのに、感心する。 映画のラストで二階堂が朗読する詩、茨木のり子の「わ たしが一番きれいだったとき」も、あらためてグラビアで読んだ。
その流れで、芥川賞発表の『文藝春秋』9月特別号を買ってしまった。 近 くの本屋さん、一軒は売り切れだったが、もう一軒にはまだ残っていた。 こ れがヒットで、いろいろな読みどころがあった。
まず巻頭随筆。 立花隆さんは、千葉県野田市の鈴木貫太郎記念館にある最 後の御前会議を描いた白川一郎画伯の絵は、写真一枚記録がない中で、出席者 を一人一人まわって、誰がどのような服を着て、どのように並んだか、絨毯の 繊維まで採取して、現場を精密に記録した労作だという。 世界一の「戦争国 家」が世界一の「平和国家」に生まれ変わった、現代日本の出発点は、あの御 前会議の天皇の決断にあるのだから、吹上御文庫附属室と玉音放送が録音され た宮内省政務室を一体型のミュージアムとして、完全公開すべきで、世界遺産 に申請すべきだといっている。
「指輪に込められた思い」の、マリコ・テラサキ・ミラーさん、肩書は「平 和活動家」だ。 父寺崎英成さんが中国在勤中、上海租界で生まれたマリコさ ん、身の回りの世話をする使用人に囲まれ、豊かな暮らしをしていたが、租界 を一歩出ると、そこには貧困と不正にまみれた悲惨な光景が広がっていたとい う。 ハバナへ代理公使として赴任することになった1936年春、引っ越しの 手伝いにきた中国人労働者の中に、手が赤く腫れ、水ぶくれになった若い男が いて、重労働には慣れていなかった。 昼時、一人だけ残ったのは、ご飯を買 う金がないらしかった。 父は、彼を食卓に招き入れた。 戦争によって自身 と家族の運命が翻弄された元役人だった。 母のグエンさんが彼の指に、素敵 な指輪を見つけて褒めた。 四つ輪のパズルリングで、銀の花模様で装飾され ていた。 母はすぐに後悔する。 彼が指輪を外し、手渡そうとしたからだ。 固辞する母に、彼は「私のことを忘れないでほしいのです」と言った。
マリコさんが21歳になったとき、母はそのパズルリングを贈ってくれた。 「それから60年間、私は少なくとも月に一度はそれを身につけてきた。母は、 彼のことを決して忘れなかったし、私も死ぬまでこの思い出を胸に抱き続ける だろう。」「指輪をはめるたび、労働者のことを思い出し、また愛と平和に生き た両親の姿に思いを馳せる」と、まもなく83歳になるというマリコさんは書 いている。 轟亭
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