「熊本バンド」と「横井時雄」 ― 2016/03/21 06:27
「熊本バンド(band)」と「横井時雄」にも、触れておく。 「熊本バンド」は、札幌バンドや横浜バンド、築地バンドと並ぶ日本プロテ スタントの源流の一つ。 明治4(1871)年熊本藩がつくった熊本洋学校で、 米人教師L・L・ジェーンズ(アメリカ・オハイオ州出身の陸軍軍人、フルベ ッキの斡旋で来日、熊本洋学校は陸軍士官学校と英ラグビー校を目指した)の 指導を受けた学生たちでキリスト教に入信、父母や藩の反対を押切り、明治9 (1876)年1月30日に熊本城外の花岡山でキリスト教によって祖国を救おう とする奉教趣意書に署名した35名を指す。 同年秋、熊本洋学校閉校後、同 志社英学校に転校し、15名はその第1回卒業生となった。 以後、学界や宗教 界で指導者として活躍した者が多い。 横井時雄、徳富猪一郎(蘇峰)、宮川経 輝、小崎弘道、海老名弾正、金森通倫(みちとも)、浮田和民、山崎為徳、下村 孝太郎、市原盛宏らがいる。 そのうち、宮川、小崎、海老名を日本組合基督 (キリスト)教会の三元老とする。
「横井時雄」は、安政4年10月17日(1857年12月3日)熊本藩士で儒学 者の横井小楠の長男として肥後国に生れる。 熊本洋学校に学び、明治9(1876) 年には「熊本バンド」の結成に参加、同年上京して開成学校に入学するが、翌 年新島襄の同志社に転入した。 一時期、伊勢時雄を名乗る。 金森通倫、徳 富猪一郎(蘇峰)、徳富健次郎(蘆花)は、母方の親戚。 最初の妻・みねは山 本覚馬の次女。 妹・みやは海老名弾正の妻。
明治12(1879)年に同志社を第1回卒業生として卒業すると伝道者となり 愛媛県今治市に赴任。 明治19(1886)年、今治教会牧師を辞任、同志社の 教師を経て、再上京し、帰郷した義弟・海老名弾正に代わり、本郷教会の牧師 を務める。 『基督教新聞』『六合雑誌』の編集にも携わった。 この頃から日 本のプロテスタント教会内部で起こった新神学、自由主義神学思想(人間中心 的・合理主義的立場を唱えて知識人のためのキリスト教を主張)に傾倒するよ うになり、明治27(1894)年にはその思想を鮮明に打ち出した『我邦の基督 教問題』を著した。
エール大学に留学し、哲学、史学を学び、明治30(1897)年小崎弘道の後 を受けて、同志社第三代社長(総長)に就任する。 明治32(1899)年に辞 職した後、官界に転身し、逓信省官房長、外務省嘱託を務めた。 明治36(1903) 年、衆議院議員(立憲政友会)に当選、明治42(1909)年日本製糖汚職事件 で辞職した。 雑誌『時代思潮』を発行、『東京日日新聞』の主幹も務めた。 大 正8(1919)年、パリ講和会議に出席。 昭和2(1927)年9月13日、大分 県別府市で亡くなった。
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