小泉八雲、ラフカディオ・ハーンと、その妻節子 ― 2025/10/08 07:12
小泉八雲、ラフカディオ・ハーンの妻セツをモデルにした、朝ドラ『ばけばけ』が始まった。 ふじきみつ彦脚本、松野トキ(高石あかり、幼少期・福地美晴)、父司之介(岡部たかし)、母フミ(池脇千鶴)、祖父勘右衛門(小日向文世)、親友サワ(小山愛珠)、裕福な親類タエ(北川景子)、その夫・傳(堤真一)、そしてヘブン(トミー・バストウ)。
小泉八雲、ラフカディオ・ハーンと、その妻セツについては、以前いろいろ書いていた。 少し、振り返っておきたい。
「等々力短信」第159号 1979(昭和54).9.25.
小泉八雲が明治23年の日本の第一印象を記した「極東第一日」(『日本瞥見記』所収)にこんなくだりがある。 店先に並んだちょっとした細工物の一つーつに魅せられて買いたくなる。 あれこれ買う内に店全体を、店の主人まで含めて買いたくなる。 街並みを、木を、風景を、そして、日本全体の四千万の愛すべき人々も含めてほしくなる。
ミキモトでレイモンド・ブッシェル氏の根付のコレクションを見た。 一口に、ものすごいものだ。 「自分と顧客のみを満足させればよかった」職人の自由で創造的な発想、気の遠くなるような技術と根気。
根付の美を発見したのは明治以後日本を訪れた西洋人であった。 今日その名品の多くは諸外国にあって日本ではなかなか見られない。 日本人は根付について1781(天明元)年に最初の本を出したあと、二冊目の本を出すまで150年以上も間をあけた。 この冷淡と無関心の間に、根付はどんどん海外に流失していった。
「等々力短信」第207号 1981(昭和54).2.15.
モースが明治10年最初に出会って好きになった日本人達は、数年後の再来日の時には本当に消滅してしまっていたのだろうか。
明治24年の松江。 日本におしよせた近代化の大波からは、ちょっとかくれた入江であった。 貧窮した士族の娘で、23歳の小泉節子が中学の英語教師で、17歳年上のお雇い外国人の妻になった噂が広がったぐらいだった。
「ママさん、あなた女中ありません。その時の暇あなた本よむです。ただ本をよむ。話たくさん、私にして下され」。 夫人が家事をするとラフカディオ・ハーンは不機嫌になったという。 節子は日本の古い伝説や怪談の本をあさり読んでは、ハーンに物語った。
われわれが幸福にも心のふるさとともいうべき共有財産として、「耳無芳一の話」「食人鬼」「安芸之助の夢」「雪女」「力ばか」といった数々の物語を持っていられるのは、ハーンと、彼が松江で出会った日本人妻のおかげである。
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