俳号徳三郎、矢野誠一さんの俳句2025/08/08 07:02

 矢野誠一さんが、7月23日に90歳で亡くなったことを伝える、2日朝日新聞朝刊の訃報は、異例の長さだった。 大衆芸能にまつわる洒脱な文章で知られた演劇・演芸評論家でエッセイスト。 東京生まれ、文化学院を卒業後、演劇活動を経て1962年から「精選落語会」をプロデュースした。 「古典落語大系」といった落語の解説や速記本の編集も手がけた。 桂米朝独演会を東京で仕掛けるなど、演芸の東西交流も担った。 70年代以後は執筆活動に軸を移し、落語をはじめ演芸や芸能の造詣を評論やエッセーにつづった。 俳優の小沢昭一や加藤武らと、「東京やなぎ句会」をつくり、永六輔、江國滋、柳家小三治といった文化芸能人による言葉遊びの文化を長く育んで後進に影響を与えた。

 さっそく、手元にあった「東京やなぎ句会」編の『友あり駄句あり三十年』(日本経済新聞社・1999年)を見ると、「俳句と私」に、1969(昭和44)年「東京やなぎ句会」発足時に「よわい満三十三の砌(みぎり)はずいぶんと薄汚い」処女作をつくった、とある。 歳時記なしに句会に出るのは、聖書を持たずに教会へ行くようなものだと言われて、茅ケ崎の団地の本屋にはなくて、新宿の紀伊国屋書店まで行って買った。 まがりなりにも三十年たって、俳句は、うまくなろうという邪心(だろう、やはり。そう思うだけで気が楽になる)を捨ててしまえば、これくらい面白くて楽しいものなんて、世のなかにそうはあるものじゃないことに思いいたった。

 俳号徳三郎、矢野誠一さんの「自選三十句」から、らしい句、気に入った句を引いておく。
長閑さや叡智を越ゆる海の色
犬眠り猫あくびして蝶舞ひぬ
葱坊主三十八まで数へた子
信長忌あたりかまはず怒鳴りけり
夏の蝶夏の年増にとまりけり
香水を選ぶ紫髪の老女優
ふとどきな願いやひとつ夜這星
地下鉄に下駄の音して志ん生忌
酔ひさめてひとりバス待つ夜寒かな
胡桃ありて夜ふけの熱き紅茶かな
縄跳びの仲たがひして終りけり
機嫌よきひとそろひける冬の夜
愚痴多く夢は少なく日記果つ

三遊亭兼好の「佃祭」後半2025/08/06 07:03

 次郎兵衛さん、死んじゃったよ。 エッ、朝、湯屋で会ったよ。 佃祭の仕舞舟が引っくり返ったんだ、一人も助からなかった。 湯屋で、お前さんも行かねえかって言われたんだが、仕事があるからって、断った。 葬式、町内の者でやるしかない。 月番は、誰だ? 与太郎か。 悔やみを言いに行かなくっちゃいけない。 どうも、おかみさん、ゴニョゴニョ、ゴニョゴニョ、さいなら。 一言も、しゃべんないじゃないか。 今朝、お湯屋で会って、誘われたんだが、お金がなくて行かなかった、ほんとによかった、さよなら。

 信じられません、引っ越してきたばかりの時、次郎兵衛さんに方々を回って客をつけて頂いた。 所帯を持てって、今のかかあを、蕎麦屋で…、見たとたん、アッ、この人だと思った。 かかあも、そう思ったそうで。 それから、ちょいちょい会って、いい女で、気立てがいいし、明るいし、いい女、大好きで、二人は仲がいい。 一回、喧嘩した、仲間と花見に行って、帰りに吉原へ行こうということになった。 かかあが、怖えのかって言われたから、一緒に行った。 朝になって帰った。 おい、ただいま!  男の付き合いがあるんだ。 あい、お帰んなさい。 ただ、それだけ。 ゆんべは、どちらへ。 吉原に行ったんだ。 無言の窮地。 敵娼(あいかた)は、どんなお方で。 飲んだくれて、なにもしていない、痛い、痛い。 さよなら。 つまみ出せ!

 与太郎、何を背負って来たんだ。 早桶。 悔やみをひと言、言うんだ。 次郎兵衛さん、死んじゃったんだってねえ、さみしいね。 おかみさん、焼餅やきだってね、食べたいなと思っていた。

 半分は、次郎兵衛さんを探しに、半分は、支度をしよう。 おかみさん、次郎兵衛さんは、どんな形(なり)で出掛けましたか? 薩摩、茶献上の帯、透綾(すきや)の羽織、白足袋、下駄は桐、会津で柾目が16本。 水の中で、そのままの姿でいるわけがない。 身体で何か目星になるものは? 左の二の腕に「玉命」と、私の名前が。 笑うな。 道理で、お湯で二の腕を押さえていた。

 こんな所まで、送っていただいて、遠くまで申訳がない。 その先、三軒目が家で。 おかみさんに、よろしく。 簾(すだれ)が引っくり返って、忌中とある。

 タッ、タッ、デタッ! なんだ、どけっ。 どうも、ジ、ジ、ジ、ロ、ベ、エさんだ、探してたんで。 キャッ、キャッ、キャッ! 三人一斉に、引っくり返らないでくれ、仕舞舟に乗らなかったんだ。 三年前、本所一つ目の橋の上で、身投げしようとした若い女を助けたことがあった、その女に引き留められて、こういうことがあって、助かったんだ。 世の中、そういうことがある。 めでたい。 (おかみさんは)こんなに心配していたのに、若い女と酒を飲んで。 情けは人の為ならず、みんなも心しなきゃあなんねえ。

 探しに行った連中、呼んで来い。 お祝いの、酒盛りだ。 早桶が邪魔だ。 糊屋の婆さん、そろそろじゃないのか。 与太郎は、早桶屋に返しに行く。 身投げを助けると、いいことがあるんだ。 橋の上に、女の人がいる。 丹前の袂に、石を入れている、身投げだ。 お止めなさい。 歯が痛くて、戸隠様にお願いです。 袂に、石を入れてたでしょ。 納めの梨でございます。

三遊亭兼好の「佃祭」前半2025/08/05 07:03

 この酷暑で、老舗の落語会に来るような、年配の好きな人が一番危ない。 蝉が鳴かない(と、羽織を脱いで、薄い空色の着物になる)。 蚊が出ない。 蚊が、夏に出ないでどうする。 ブーーンという音で緊張する。 掌を叩いて、「母さん、蚊だ、秋だねえ」。

運動会や、祭の日にちを、夏から秋にずらしたりしている。 八百万の神、神様は天井から便所、学問、山、海、夫婦仲(八幡様)、いろんな所にいらっしゃる。 虫歯など歯が痛い時は、戸隠様、有りの実(梨)に名前と痛い所を書いて、橋の上から投げる。 そして、三か月梨を食べないと、治る。 神様の数だけ、祭がある。

 神田お玉が池、小間物屋の次郎兵衛さんは祭好き、まとまりがいいからと佃島の祭へ渡船で行く。 おかみさんがやきもち焼きなので、必ず仕舞舟で戻るからと、出掛けた。

暮六つ、急いで戻らないとと、仕舞舟に乗ろうとする。 もう一杯だ。 ちょっとお待ち下さい、三年前、本所一つ目の橋の上で、身投げしようとした若い女に、五両のお足を渡して助けた旦那さんではありませんか(と、袖を引かれる)。 おい、船頭さん、何とか乗せてくれ。 あなた、大変な人違いを。 旦那さんにそっくりで。 舟が出た、あれに乗らないと、えらいことになるんだが、そういえば、助けた覚えがある。 私は、あの時の不束者で、こちらで所帯を持っております。 顔を見て、思い出しました。 碁の帰りで、袂(たもと)に石を入れているので、身投げだと思いました。 よかったですな、人間、生きていりゃあ、いいことがある。 でも、弱りましたな。 うちの宿が、船頭をしておりまして、舟を出せると思いますので、近くですので、お寄り頂いて。

上座にすみません。 あの時、命を助けていただいたのに、口も利けませんで、お名前もおところも、お聞きしませんで。 お酒は、いけません。 何のおもてなしもしないと、宿に怒られます、いつも旦那さんの話をしていますので。 表が、賑やかで。 喧嘩かな、賑やか過ぎる。 おっかあ、大変だ、仕舞舟が引っくり返っちゃった。 お客人かい…、後でご挨拶を致します。 これから行かなきゃあならない。 エッ、鳥肌が立ちましたよ、私は仕舞舟に半分乗っていた。 金槌だから、ドボン、あなたに助けられた。

おっかあ、今、帰った。 人を詰め込み過ぎたんだ、一人として助かった人はいない。 一つ目の旦那さんに、お会いしたんだよ、家に来て頂いた。 井戸端で水を浴び、浴衣に着替えて、あっしは金五郎と申します、お会いできて、本当に嬉しい。 いつも聞いておりました。 神信心しかないんだろうが、心安い神様がいない、大神宮、住吉様、お薬師様、とげぬき地蔵、戸隠、七福神に加え、神棚に「一つ目の旦那様」と金釘流で書きまして、こいつと二人で朝晩、御燈明を上げて手を合わせておりました。 五両は、少しずつ、お返しいたします。

私は、お玉が池、小間物屋の次郎兵衛と申します。 おかみさんに、命を助けられた。 仕舞舟に乗ろうとして、引き留められた。 お陀仏になるところで、おかみさんは命の恩人です。 やりやがったな、いいや、こんな良い旦那さんを、神様がほっとく訳がない、自分で自分を助けたんでさあ。 家の者が、心配する。 もうちょっと待って、今日中に、お送りしますから。

春風亭一朝の「日和違い」2025/08/04 07:05

 言うまいと思えど、の暑さで。 林家正蔵(彦六)の怪談噺、よくしくじった、正雀が入る前のこと、師匠はいいんだが、弟子は芝居心がない。 火の玉、幽霊火、釣り竿の先に樟脳玉をつけて、前座がゆらゆらと出す。 木久蔵、今の木久翁、見ながらやればいいのに、前後左右に動かすから、師匠の頬っぺたにくっついて、(正蔵の声色で)「バカヤロウ! 熱いじゃないか!」、幽霊が啖呵を切ったりする。

 「日和違い」、何しろ研究会でやる話じゃない。 世の中は澄むと濁るで大違い、刷毛に毛があり、ハゲに毛が無し。 だいこんと付くべき文字に付けもせず、いらぬ牛蒡をごんぼォという。 「ダイコ、ダイコ!」「ゴンボォ、ゴンボォ!」と売る。 「ゴボ、ゴボ!」では、長靴でぬかるみを行き、徳利が水瓶に沈んだようだ。 商売は、道によって賢し、という。

 足止めの法。 一人の男が、往来で空の一点を見つめている、ステッキでその一点を指し、「おい諸君、あれは空だ、天。下にあるのは、地。公園にあるのはベンチ。お昼に食べるのはランチ。食べて出すのはウンチだ。」 やおら、自分の商売を始める。 易者、お客を亡者(迷って来るから)と呼ぶ。 家に庭があるか、井戸はあるか? 庭はあるが、井戸はない。 なくて結構、あると一命に関わる。 庭に木があるか。 柳の木がある。 その木の位置がよくない、右にあるだろう。 左にあるけれど。 どちらから見て、左だ? 家から見て。 わしは、庭から家を見ている。

 どうだろうね、天気、雨降らねえかな、これから日本橋まで使いに行かなきゃならない。 俺は雨男なんだが、番傘しかない。 漁師なら、天気が分る。 どこに漁師がいる。 海か川のそばだ。 品川。 二里ある。 日本橋まで、一里だよ。 占い師が、町内のお長屋にいる、聞けばいい。 これは、これは、お長屋の衆、天気、森羅万象、神社仏閣、何でも分かる。 今日の天気はどうでしょう? 「今日は雨が降る天気じゃない」 見料は、いくらで? いらない。

 それで出かけると、向こうが黒くなってきて、雨が降り出した。 米屋の軒先で雨宿りをする。 本降りになってきた、ドブ板が流れて来た。 米屋が、あっちへ行って下さい、と。 傘貸してくれるかい。 貸せない、濡れすぎているから、米俵を着せてあげる。 サンダラボッチを、頭に。 手が出ないよ。 俵を切ってあげる、お代を。 どこで損するか、わからない。 横丁のみっちゃんには見せられない。

 占い師のところへ。 やい、この野郎! また、妙な格好で。 雨具をお持ちにならなかったんで? 「今日は雨が降る天気じゃない」って、言ったじゃないか。 私は「今日は雨が降る、天気じゃない」と申しました、傘持って行かなきゃあ、駄目だ。 一遍、切るのか、どうも、すみません。 今夜は、早寝だ。

 翌朝。 また、出掛ける。 紙芝居屋、アメはあるかね? 煎餅ならある。 桶屋、ふろうかい? こんな浅い風呂があるもんか、これは盥(たらい)だ。 学生さん、ふるかい? 失礼な、ちゃんとサルマタ穿いてます。 魚屋の勝っつあん、きょうはふりか? ブリはない、サワラならある。 サワラ、切ろうか? イヤーーッ、俵を着るのは、コリゴリだよ。

桂吉坊の「冬の遊び」後半2025/08/03 07:23

 お富、よう連れて来てくれた。 栴檀、座ったらどうだ、立派なもんだ、知盛、よう似合っている。 衣装は何枚だ? 六枚。 汗一つ、かいてない。 皆、冬の着物に着替えよう、丹前など…。 芸人衆は、冬の着物など、手元にない、どこぞの蔵に預けている。

 一八です、遅うなりました。 向う先の見えぬ芸人やな。 扇子バタバタやって、セミの羽みたいな着物を着て。 しくじったか! お帳場、冬の着物はちょっとお蔵入りなんで、袷(あわせ)に長襦袢三枚、着物二枚、綿入れ、帯をぐるぐる巻きにして、ビロードの羽織。 暑い!

 えらい、寒いことでっすな。 なんで、唐紙入れないんです、炭を熾して、火鉢を。 スズキの洗いに、冷奴は駄目。 鍋に、茶碗蒸を。 一八は、お帳場さん、動かれへん。 運び込め。 化け物やな。 着物の中から、顔出してる。 寒さの厳しい日で、新町中、氷柱が下がっております。 唐紙入れて、真夏の密室、宣徳銅器の火鉢に炭を熾し、鍋。 取り敢えず、茶碗蒸が出来てます。 冷え性なんで、懐炉を三つずつ。 一八に、してやられたな。 一つ、踊れ! 冬のもんを、弾いて下さい。 (鳴り物が入る)「御所のお庭」、手首しか動かれへん。 扇子を持たせろ。 手が悴(かじか)んでます。 隙間から、懐炉を突っ込め。

 一八、着物を脱いで、飛び出し、井戸の水をザブーーッ、ザブーーッ、とかぶる。 一八、何をやってるんだ? 寒行の真似をしております。