『あるジャーナリストの敗戦日記』2005/09/13 08:17

 森正蔵著『あるジャーナリストの敗戦日記 1945~1946』(ゆまに書房)を読 んでいる。 友人が著者の息子桂さんと幼稚舎の同級生で、この本を送ってく れた。 森正蔵さんは明治33(1900)年の生れ、東京外国語学校露語科を出て大 阪毎日新聞社に入り、ハルビン、奉天、モスクワの特派員などを務め、戦争中 から東京本社論説委員、敗戦後は社会部長を兼務し、さらに編集局次長も兼務 した。 私より年上の人は、戦後最初のベストセラー『旋風二十年』の著者と して名前を憶えているかもしれない(実は部下の記者に書かせて、まとめたもの だと、日記にある)。

 文筆を業とする人ではあるが、激動の中、超多忙の毎日に、かなりの分量の 克明な日記をつけていることに、まず驚かされる。 この本には、政府がポツ ダム宣言の受諾を決めたことを知った昭和20(1945)年8月10日から、昭和 21(1946)年末までの日記が収録されている。 敗戦後、戦時中から論説委員だ ったので、みずから戦争責任を自覚し、どう対処するか考えているうちに、他 の新聞社と同様に毎日新聞社でも、戦争責任問題や社内革新運動が起こり、経 営と現場の狭間にある中間管理職として、その渦中に巻き込まれていく。

 奥さんと息子桂さんを山梨県八代郡黒駒村(現笛吹市)に疎開させており、日 曜祭日その他にバター、鰊粕漬、乾パン、絵本などをつめた重いリュックサッ クを背負って、不便な交通事情の下、黒駒に行く。 「いろいろ土産ものを集 める。このやうな時の気持ちはたまらない。明日のひる過ぎには桂に会へるの かと思ふと何だか気が浮き浮きする」(11月21日)  戦時中私も母や兄や祖母 と、栃木や埼玉に疎開していた。 まだ4歳にならない頃だったから、憶えて いないが、同じように父もリュックサックを背負って東京からやってきたのだ ろう、と思った。