GHQの新聞統制、戦争犯罪人の告発2005/09/14 08:08

 森正蔵さんの日記で第一に注目されるのは、戦争直後の新聞社の状況である。  用紙の制限があって、2ページ建の朝刊のみ、特別の日だけ4ページの発行だ。  戦争中、新聞人は軍部と官僚の情報統制の下にあって、「大本営発表」をそのま ま記事にするなど、悩みの多い編集と発行を続けてきた。 それが敗戦後、今 度は占領軍の新聞統制に対処しなければならなくなった。 GHQの民間情報 教育局(CIE)による指導と、民間検閲支隊(CCD)による検閲である。 「比島に おける日本軍の暴行」「奉天事件からミズリー号調印まで」という長文の押しつ け記事の掲載を求められたり、占領軍将兵の善行美談を載せるように指導され たりしている。 各新聞社は、ちょっとした記事によって、24時間、48時間 の業務停止や、発行停止処分を受けている。 政府の特恵待遇を得ていた同盟 通信社は解体された。

 9月17日、GHQが第一生命相互ビルに入ると、9月22日には土肥原大将が 召喚され、前朝鮮総督阿部信行大将も督促令を受けた、とある。 11月19日 には、GHQが荒木貞夫、本庄繁、小磯国昭、久原房之助、松岡洋右、真崎甚 三郎、南次郎ら11人を戦争犯罪人として逮捕して、巣鴨刑務所に拘禁するよ う、日本政府に命令した。 12月3日、新たに戦争犯罪容疑者が発表された。  軍閥では畑俊六、佐藤賢了、豊田副武、政治関係では青木一男、有馬頼寧、広 田弘毅、平沼騏一郎、言論界では徳富猪一郎、正力松太郎、実業界では鮎川義 介、藤原銀次郎、中島知久平、池田成彬、右翼では児玉誉士夫、大川周明、笹 川良一など、全部で57名である。 12月6にはさらに、近衛文麿、木戸幸一、 大島浩、大河内正敏ら9名に逮捕の指令が発せられた。 12月16日朝、巣鴨 刑務所に入る予定になっていた近衛文麿が荻窪の荻外荘で自殺した。 私など は幼すぎて知る由もなかったそうした日々を、新聞社の現場にいるように、臨 場感たっぷりに読めるのだから、興味は尽きない。