小三治の「出来心」 ― 2006/04/06 07:11
「出来心」の小三治は、去年の11月、ローマの超一流のホテルに8泊した という。 イタリアは1982年に初めて行ったが、自分以外は泥棒だと思えと 言われた、危ない所だ。 8泊して帰ろうとしたら、鞄持ちで行った娘が、お かしいという。 超一流のホテルの部屋の金庫に入れておいた財布の、千円札 はあるのに、一万円札とクレジットカードがない。 お父さんはどうだ、とい われて、懐の財布を見ると、やはり一万円札とクレジットカードがない。 パ スポートと航空券はそのまま、財布も千円札もそのままなのに…。 気付かぬ 内に、クレジットカードを使おうというのだ。 調べると、三日前にやられて いた。 あとをつけていて、長逗留を知っているのだ。 イタリアは、油断な らねえ。 ここだけの話、全員が泥棒みたいな、人が見てなきゃあ持ってって もいいという、おおらかなところがある。 イタリアでは、人間がおおらかに なれる。 持ってる奴が悪い、盗られた奴が悪いんだ。 とくにローマは、食 い物はうまいし、今度ぜひご一緒に…。 「オイ、足洗えよ、チャランポラン やってたら駄目だぞ」と、「出来心」に入った。
「出来心」は、前座噺といってもよい、新米の間抜けな泥棒が空き巣に入る 噺だ。 クスグリが「裏は花色木綿」だと言えば、誰もが知っているだろう。 その噺を、小三治がやると、ほんとうに可笑しいのだ。 とぼけた味が、なん とも効いている。 小三治は、小さな声で、ぼそぼそ言っているだけなのに。 「糊屋の婆さん、しゃもじで、メシトリ」、「ビードロの掛け布団」、「六つ所紋、 一つはお尻のところ、コウモン」、「はだかの帯」、「十三になるおふくろ」など という何でもないギャグが、そして「裏は花色木綿、丈夫な上に、あったかい、 寝冷えしない」というリフレインが、心の底から可笑しいのだ。 昔聴いた、 小さんの「浮世根問」を思い出した。 隠居が世の中の果を、それからそれへ と問い詰められて、ついには蠅取り紙みたいにベタベタするあたりまで行った 頃には、腹の皮がよじれるほどになった。 小さんを継ぐのは、小三治だった のではないか。 ともあれ、小三治が「出来心」を演じた時間と空間に、客として参加できた ことは、幸福なことだった。
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