鹿鳴館「セレブ誕生」2006/06/01 07:43

 “知るを楽しむ”「明治美人帖」で、芸者の次は「セレブ誕生」、鹿鳴館の話 だった。 鹿鳴館が出来たのは明治16(1883)年、西洋人の日本人蔑視をあらた めさせ、日本が欧米に引けをとらない国であることを示そうとした、という。  政府高官や華族の夫人や令嬢が、無理矢理洋装して靴を履きダンスをするのだ から、大変だった。 ドレスに身をつつんだ芸者もかり出されたという。 番 組では目黒のドレメ、杉野服飾大学記念館で、モデルさんがバッスル・スタイ ルの着付けをした。 まずコルセットでウエストをきつく締め付ける。 前の ホックを無理に留めたあと、背中の紐をギュッと締める。 実際には締める人 が、女性の背中に足をかけて引っ張ったそうだ。 お尻の後ろが馬に乗ってい るように出っ張っている例のスタイルには、ヒップを強調するバッスルという 柳家花緑が「小田原提灯のようだ」といった腰当てをつける。 その上にドレ スを着たモデルは、ちょっと苦しい、息もできないようだと言った。

 それでも美貌と華麗なダンスで「鹿鳴館の華」といわれた戸田伯爵夫人極子 (きわこ)、外交官だった夫の赴任先で英語と社交界のマナーを身につけた鍋島 侯爵夫人栄子(ながこ)などが活躍した。 佐伯順子同志社大学教授は、一時、 行過ぎた欧化政策には批判もあったが、ダンスが踊れて表舞台で社交が出来る 女性が理想化されていく新しい動きが、鹿鳴館によって出てきたことに、一定 の意義はあったという。 新しい日本のセレブが、この時期に誕生し、近代社 会の日本の新しい女性像が提示されたことが、重要ではないか、という。

 きのう書いた明治20年4月20日の仮装舞踏会は、鹿鳴館で開かれ、内務大 臣山県有朋は甲冑姿だったと放送し、柳家花緑が甲冑をつけてみて、重くて苦 しい、と言った。 佐伯さんは、仮装舞踏会という伊藤博文首相の奇策を、花 柳界の風習がヒントだったのではないか、と指摘した。 祇園では今でも節分 に「おばけ」という仮装の風習が続いている。

落語の季節感2006/06/02 08:10

 5月31日は、第455回の落語研究会。 暑い日であった。 二か月前に定 連席券を獲得するために行列した時の寒さを思い出し、このたった二か月の間 の気候の変化にあらためて驚くのであった。

  「宮戸川」        三遊亭 歌彦

  「蛙茶番」柳家小太郎改メ 柳亭 左龍

  「青菜」         柳家 権太楼

          仲入

  「松曳き」        五街道 雲助

  「鰍沢」         柳家 さん喬

 落語にも、俳句と同じように、豊かな季節感がある。 「青菜」は夏、水も きれいに打ち、仕事をし終わった植木屋に、大家の主人公が上方で「柳陰」関 東で「直し」と呼ぶ冷えた酒に、「鯉の洗い」をごちそうする。 「よく冷えて ますな」「それはお前さんがずっと日向で仕事をしていて、口の中にまで熱を持 っているからだよ」といった会話がある。  「蛙茶番」の素人芝居は年中やっていて、特に季節はないようだ。 ヒキガ エルが出るのは啓蟄以後、湯に行ってさっぱりして、ケツをまくるのだから、 やはり夏、今頃のことかもしれぬ。 「松曳き」には、はっきりとした季節は 出てこない。 でも、おそらく松を植え替えられる時期というものがあるだろ う。 盆栽なら、春秋のお彼岸の頃が植え替えの時期と知っている。 庭の木 も同じなのかもしれない。

 長々とそんなことを書いたのは、「鰍沢」がまったくの季節はずれだったから だ。 主人公は、雪の中で道に迷い、あやうく凍え死にそうになる。 最後に 逃げるのも、一面の雪の中を、こけつまろびつ、兎が跳ねるようにかき分け、 かき分け進む。 雪庇を踏み外して、富士川の釜が淵に転落するのだ。 さ ん喬が一生懸命やったわりに、伝わらなかったのは、季節の選択を誤ったこと もあったのかもしれない。  雷が出るから今頃の噺かと考える「宮戸川」も、締め出しを食って、泊まる ところを探すのだから、本来は冬の話だそうだ。 ふつうお花がしくじるのは、 カルタのせいだが、歌彦は、そのへんを考慮してか、友達の家で本を夢中にな って読んでいて、とやっていた。

歌彦の「宮戸川」、左龍の「蛙茶番」2006/06/03 07:20

 三遊亭歌彦、大分県出身の由、大分では「落語研究会」の放送は、やってい なかったそうだ。 評判は聞いていたようで、上京して見られることになった 時には、高座の側にいることになった。 そんな思いのある「落語研究会」の 出演、きょうは円歌一門会を蹴って来た、という。 すっきりした、昔風の若 者の顔、おばさん顔と言ったらいいか、声も大きし、有望。 「宮戸川」、おじ さんの家の二階に、エテ梯子で上がった半七とお花、一つ布団に帯の線を引き、 浦和と大宮とに別れて(こないだ合併したという歌彦は、さいたま市の住民か)、 横になる。 漱石の『三四郎』が「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」と いわれる一件は、この「宮戸川」から来ている、三四郎が宿帳に書く女の名前 が「花」だと、たしか半藤一利さんが書いていた。 歌彦、雷が落ちてからも たもたし、「このあとは別料金」という落ちは、いただけなかった。

 真打になって柳家小太郎改メ柳亭左龍、多髪の額の生え際中央が逆三角(あれ は何というのだっけ)で、丸顔ギョロ目、犬になって上目遣いに吠えたら、ブル ドックになった。 「蛙茶番」、伊勢屋の素人芝居で『天竺徳兵衛韓噺(いこく ばなし)』をやるのに、ヒキガエルや舞台番のなり手がない。 舞台番というの は、昔の江戸の芝居で、下手の端に半畳を敷き、着物の裾をまくって膝をむき 出しにして座り、観客が騒ぐと注意の制止声などかけていた役。 ヒキガエル は小遣いをやって小僧の定吉にやらせ、舞台番は町内の跳ねっかえりの八公を 「小間物屋の美ぃ坊が、素人がおしろいを塗りたくって、ぎっくりばったり目 を剥くのより、おしろいっ気のない舞台番に逃げ込んだ所なんぞ、粋で、いな せで、いい男だと、言っていた」と、持ち上げる。  八公は成りを地味にして、趣向にデェーマル(大丸)で、目方のたっぷりした、 丈が長めの、くわえて引っ張るとチリチリ音のする、緋縮緬のふんどしを、誂 える。 湯に行って、それを番台に預け、急に呼びに来られて、忘れてしまう。  舞台に座って、裾をまくったから、さあ大変。 「ご趣向」「大道具」と、声が かかる。 「このあとは別料金」。 爆笑噺なのだが、爆笑とまでは行かなかっ た。

権太楼、夫婦ゴルフのまくらと「青菜」2006/06/04 07:11

 権太楼、頭をさっぱりして、修業僧のような鼠色の着物、少し痩せたか。 同 期がサンデー毎日という年齢になった。 夫婦は別の趣味がいいというのが持 論だという。 夫婦でゴルフをするのがいる。 飛ばす夫人で、ティー・ショ ットを白マーク、レギュラーから打つ。 ロングホール、パー5。 第1打、 カート道路に乗っかって、うまいことにツツーッと転がり、フェアウェーの真 中に出た。 第2打、これも石か何かに当たって、ツー・オン。 8メートル のパットを残す。 「これが入ったらイーグルよ、入ったら私、死んでもいい」、 五つきざんでやっと来た旦那「じゃあOKです」。 二人は別れた。 同じ趣味 は持たないほうがいい。

 「青菜」、植木屋が家に帰り夫婦の会話のあたりから、権太楼が乗ってきて、 じつに可笑しい。 三つ指をつくどころか、お帰りも言わないおかみさん、「私 だって忙しい、見てわかんだろ、タバコすってんだ」 尾頭付きのイワシの塩 焼きは、頭に滋養、カルシウムがある。 「犬をごらん、そこ食べてるから風 邪引かない」 亭主を犬といっしょにするのか、「いい犬なんか、高く売れるん だ、亭主とは違う」

 そもなれそめのお見合いに、夫婦は上野動物園のカバの檻の前で1時に会う ことになっていた。 植木屋はずっと待っていたが、一時間待っても、二時間 待っても、おかみさんは来ない。 3時になってようやく、猿の山のほうから、 転がるようにやって来た。 あれは稲葉の旦那の策謀で、カバを二時間も見て いれば、どんな女でもよく見える。  「お客が来ることを、ラクライという」「赤面の顔を赤くする」なんてのまで、 可笑しいのは、権太楼が巧くなったということだろう。

雲助の「松曳き」2006/06/05 07:46

 五街道雲助の「松曳き」は、落語では粗忽と称する、いま話題の若年性アル ツハイマー問題を取り扱う。 殿様も、用人の田中三太夫も、その症状から見 れば、立派なアルツハイマー病である。 植木屋の八右衛門が風邪引きで、名 代で倅の八五郎が来ているのに、殿様は呼びかけるたびに、八三郎、八太郎、 八十郎となってしまう。 三太夫の所に、国表から早飛脚で書面が来る。 読 もうとするが、薄墨で読めない。 裏返しだった。 「御殿お姉上様ご死去」 とあって驚愕、殿様に人払いしてもらって言上するが、「何時何日(いついっか) のことか」訊かれて、分からない。

  詰め所に戻り、その手紙を懐に入れていたのを忘れて、さんざん探す。 よ うやく見つけて見れば「御貴殿お姉上様ご死去」だった。 「いさぎよく一服 して」というので、家来が煙草盆を差し出せば、「切腹を切る」であった。 「俎 板と包丁を持て」いや「九尺二間」のだという大騒ぎ。 殿様に正直に申し上 げれば、あるいは一命を落とさずに済む場合もあるかもしれないと、家来が諌 める。 だが殿様は激怒して、「目どおりかなわぬぞ、何という奴じゃ」と、切 腹を命ずる。 田中三太夫が、御前を下がろうとすると、「待て待て、切腹には 及ばぬぞ、よう考えたら、われには姉はなかった」

 雲助は、やり手の少ない噺だといった。 「粗忽の釘」にしろ、「粗忽の使者」 にしろ、爆笑になる噺だ。 これもやりようによっては、そうなるのではない か。 雲助の口跡と、一種の堅苦しさにも、難があったのかもしれない。