「拝啓 渋沢栄一様」2007/03/04 08:02

 朝日新聞夕刊連載の“ニッポン人脈記”、2月15日から3月2日までの「拝 啓 渋沢栄一様」(中島隆記者)を、たいへん興味深く読んだ。 学校を出てし ばらく、食堂の食器に星のマークがついていた渋沢栄一のつくった銀行に勤め、 いわば渋沢の丁稚をやったから、渋沢栄一にはずっと関心がある。 幕末から 昭和の初めまでを生き(1840(天保11)~1931(昭和6))、500もの株式会社 をつくった「日本資本主義の父」、1873(明治6)年大蔵官僚を辞めた後は「官 尊民卑」の打破を課題にし、商業の近代化教育や女子教育に熱心で、250もの 文化や芸術の支援事業、慈善福祉活動、民間外交にかかわった。 金儲けより も『論語』の恕(じょ)、思いやりの心を重視した「論語とそろばん」の、利益 と道徳が両立する経営を説いた。

 その渋沢栄一がかかわった一つ一つの事業の現在はどうなっているのか。  今、後継者たちは、渋沢栄一に郷愁を感じ、渋沢栄一に学ぼうとしている。 そ れはとりもなおさず、いまの私たちの社会のできばえが思わしくないことの裏 返しなのだからと、この連載は追及した。 渋沢栄一が現在の社会状況を見た らどう思うか、それを問いかける「拝啓 渋沢栄一様」なのであった。

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