身にこたえる話だった『東京タワー』 ― 2007/03/17 06:31
閑居小人、リリー・フランキーさんという人の『東京タワー オカンとボク と、時々、オトン』(扶桑社)が、ベストセラーになっていることぐらいは知っ ていた。 だが読むところまでは、行かなかった。 どんな話だろうと思って、 連続ドラマではなく、暮だったかフジテレビが単発でやったのを、録画してお いた。 前からオカン役の田中裕子をなかなかいい、と思っていたこともあっ た。 亡くなった久世光彦さんの企画。 ボクは大泉洋、その彼女・東京タワ ーの案内ガールを広末涼子。
筑豊のボタ山の見える町、オカンたち三人姉妹をリヤカーを引く魚の行商で 育てた母親(加藤治子)が、やくざで乱暴な、時々姿を現すから「時々、オト ン」のオトン(蟹江敬三)を、娘婿だから「コウジさん」と呼ぶ。 私には、 その「コウジさん!」が、何か身にこたえるのであった。
オカンが東京に出てきてボクと暮し始め、胃がんになって東京タワーの見え る病院に入院する。 実は、私の母も、同じ病気で、花の頃から東京タワーの 見える病院に入院していて、そのまま五月に逝ってしまった。 最期の晩は、 弟が泊まっていた。 まもなく丸二十九年になるが、きのうのことのようであ る。 母がベッドで書きつけた歌が残っていた。
久方の皆既蝕とか夜廻りの看護婦と共に窓にたち見る
月光にうく高きビルあわき光にしんきろうのごと湖(うみ)にうくごと
白い綿雲一刷毛雲春の雲高き窓よりひねもす空見る
いざゆかむあきらめおりし花の時外出許可のおりしその日は
最近のコメント