梯久美子『散るぞ悲しき』と浜田知明の絵 ― 2008/09/13 05:47
『二十世紀を読む』では、選んだ15冊の本を3冊ずつ、戦場、戦争、思想、 生活、民族の、五つの章に分けている。 15冊の内、私が読んだ唯一の本は、 意外にも「戦場」にあった。 梯(かけはし)久美子さんの『散るぞ悲しき― 硫黄島総司令官・栗林忠道』(新潮社)である。 1961年生れの梯さんが、戦 争というものの愚かさ加減、戦争で死ぬということ、を見事に描き、栗林忠道 と硫黄島の兵士たちを生かした、梯さんは凄い人だなあ、という石井さんや櫻 井さんの感想は、私もまったく同感だった。 佐伯さんは、これだけちゃんと した人間がいて、これだけよく分かっている人間がいて、だれも、その戦争を やめさせることができないで「散るぞ悲しき」になっている、一体どういうこ とかと痛切に感じた、と話す。 伊藤さんは、梯さんにとって職業軍人として の栗林も家庭生活者としての栗林も一緒、日常と非日常を同じレヴェルで見つ めていて、その結果として初めて見えて来るものがある、女性だから書けた記 録といえるかもしれない、と。
「戦場」のあと2冊は、井上俊夫『初めて人を殺す』(岩波現代文庫)、鹿野 政直『兵士であること』(朝日選書)。 『兵士であること』の「取り憑かれた 兵営―浜田知明の戦後」に関して、伊藤さんがこんな話をしている。 「初年 兵哀歌」の浜田知明は嫌いな画家だったが、「シベリア・シリーズ」の香月泰男 の方は画家自身の説明文を読んで、その絵が好きになった。 鹿野さんの浜田 論を読んで、浜田知明がやはりすごい画家だとわかった。 一枚の絵に映画に 匹敵する物語性を持たせようとする。 主題性に固執して、絵画に思想性、文 学性をもたせたいという抱負をもって、具象でも抽象でもなく「心象風景」で 見るもののイメージを喚起した、と。 伊藤さんは2005年、戦後60年という ことで戦争を回顧する展覧会をいくつか見たが、会場に並べられたシベリヤ抑 留や戦場や空襲の悲惨な絵や模型から受ける印象は、結局、香月泰男や浜田知 明の絵の衝迫力に及ばない。 更めて、すぐれた絵画というものの力を認識し た。 見る者のイメージを喚起する力、創作者と鑑賞者の間の対話性の有無で、 その作品のリアリティが決まる、と。 私も、香月泰男は好きだったが、「初年 兵哀歌」にギョッとして、浜田知明は敬遠していた。
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