森澄雄さんにも「難解な句」 ― 2010/11/01 06:43
丸谷才一さんの『蝶々は誰からの手紙』に、「難解な句」と題して、8月18 日に91歳で亡くなった俳人・森澄雄さんのことを書いた文章がある。 初出 は2003年4月の森澄雄展図録『森澄雄の世界』だそうだ。
三月や生毛生えたる甲斐の山
田を植ゑて空も近江の水ぐもり
名月や男がつくる手打そば
と、いうように、ふつう森澄雄の句はわかりやすいと思われている。 一体 にすっきりしている。 勿体ぶらないくせに恰好がついていて姿がいい。 し かし、こんなのはどうだ、と丸谷さんは提示する。
佛足に魚も雕(ゑ)られし春の海
仏足は仏足石、釈迦が生涯、諸方を旅して説法したのを記念するものだ。 こ の信仰は日本にも渡来し、奈良の薬師寺に最古のものが現存する。 仏足石に は車輪状とか魚状の模様が彫られている。 しかし、こういう知識だけでは、 この句は味わえないとして、丸谷さんは、自分でまるで西脇順三郎の詩のよう だという、次の解釈を示す。
佛足石に彫つてある魚のデザイン
春の海
すなわち、春の海と仏足石の魚とのイメージの衝突であって、その出会いが 詩情をもたらす。 さらに言えば、春の海のおだやかな安らぎによって仏教的 な世界が提出されると見てよかろう、と。
そして、こういう方法はもともと俳諧的なものであったと、芭蕉の蛸壺の句 を例に挙げる。
明石夜船
蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉
この句では、蛸が蛸壺のなかで見ている夢と夏の月という二つのイメージが 対置されて、その突飛な取合せが心を刺戟し、それにまたこの二つを衝突させ ている人間の旅が寄り添って、旅人の見る夢、蛸の見る夢、夏の月の三つのコ レスポンデンスがアイロニカルな寂しさを差出し、詩と笑いとの不思議なまじ り具合が生れる、という。
そして、森澄雄の難解な句を七句あげている。 たとえば、
基督より佛の方へ闇ぬくし
夕焼どきの熱き湯にをりカロッサ死す
紅葉の中杉は言ひたき青を待つ
古今亭志ん吉の「たらちね」 ― 2010/11/02 07:07
いわゆる「晦日」にあたる10月29日は、第508回落語研究会だった。 閑 居してから、「晦日」といわれても、ああそうか、という程度になったのは、ま ことに有難い。
「たらちね」 古今亭志ん坊改メ 古今亭 志ん吉
「だくだく」 桃月庵 白酒
「付き馬」 入船亭 扇遊
仲入
「七段目」 柳亭 市馬
「かんしゃく」 柳家 小三治
冒険ダン吉を思い出す古今亭志ん吉、8月まで座布団とめくりを返していた 志ん坊で、辛抱の甲斐あって、9月二ッ目に昇進、本日の高座となった。 早 稲田大学文学部卒、社会人を経て、スキンヘッド志ん橋の弟子になったという。 目の窪んだ顔だが、高い声で大きな声を出すのがいい。 ご存知「たらちね」 は、独り者の八五郎の所に、大家が持つものを持たないかと、やって来る。 と ても、というと、一人口は食えないが、二人口は食える、というじゃないか。 ラーヅ(面)の方は?、十人並み優れている、年は二十、夏冬の道具も一揃持 って来るという。 夏冬道具一揃といっても、せんだって留公の所へ来たのは、 行火と渋団扇持ってきた。 そんなんじゃない、箪笥と長持だ。 そんないい 話、どこかにキズがあるのだろう。 わかるか。 横っ腹に穴か、寝小便か、 寝小便ならあっしもやる。 実は言葉が丁寧なのだという。 京都のさるお家 に奉公していたので。 それなら、すぐもらいましょう、思い立ったら吉日。 よく知っているな。
待つ八五郎「チャラロロー、チャラロロー」と、下駄と雪駄の音に、胸躍ら せると、「タワシはいりませんか、長く亭主に患われ」という押し売りだった。 「末はトウリュウになる」と仲人口を利いた大家は、「仲人は宵の口という、お 開きに」と帰り、二人になる。 名前を聞けば「自らことの姓名は、父は元京 都の産にして姓は安藤名は貞三、あざなは五光、母は千代女と申せしが、わが 母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見てはらめるが故に、たらちねの胎内を 出でしときは鶴女と申せしが、それは幼名、成長ののちこれを改め清女と申し はべるなり」。 長いな、紙に書いてくれ、仮名でとなって、読んでいる内にお 経になる。
昔のご婦人は、夫に寝顔を見せないといったものだそうで、と朝になる。 お 米のある所がわからない。 「あーら、わが君」が始まる。 「しらげのあり か、いずくにありや」 志ん吉は、上の上。 ひさしぶりに、きちんした「たらちね」を聴いた気が した。 有望だ。
桃月庵白酒の「だくだく」 ― 2010/11/03 07:16
「白酒は、いま一番ホットだ」と、最近『現代落語の基礎知識』(集英社)と いう本を出した広瀬和生さんが言っている。 友人がくれた白酒・広瀬和生対 談が載っている雑誌のコピーを読んで知った。 たしかに白酒は、いい。 「だ くだく」も充実、白酒の体躯のように、はちきれんばかりだった。
この会は収録があるのでこれでもメイクをした、と白酒、アナログとデジタ ルではあまり変わらないが、ハイ・ビジョンだと変わる。 見えすぎて、よろ しくない。 けっこう歳なんだとわかる。 最近は3Dが騒がしい、だから何 だっていうんだ。 寄席中継が飛び出て来る。 メガネが要るのが、まだまだ だ。 そんなのの、上を行くのが落語。 素晴らしい。 第一に、お客様の頭 の中で、ご通家だと、一瞬で風景が広がる。 第二に、偉い人が出てこない。 先生でも、いい加減な先生だ。 それが、人に勇気を与える。 みんな同じな んだと思わせる。
「だくだく」の八っつぁん、店賃を1年と12ヶ月溜めて、大家に出てって やると、家財をバッタに売って、空きだなに移る。 何もないので、模造紙を 貼り、絵描きの先生を呼んできて、家財道具を書いてもらって、「そのつもり」 になる。 床の間、山水でなく字がいい。 「尖閣諸島は日本の領土」や「鬼 畜米英」じゃなくて「落語研究会 TBS」。 1億3千万円が見えている金庫、 上には小粋な時計、時間は3時に、見るたびお菓子になる。 箪笥は総桐、奥 光りで「ピカッ」、二三枚着物が出ている。 ラジオ、天気予報をやっていて、 吹き出しを描いて「台風接近中」「今だけ」。 羊羹は厚く楊枝を添えて、欅の 長火鉢、おでんが煮えている、玉子竹輪にがんも、鉄瓶から湯気。 座敷には 三毛猫、窓からは富士山、奈良の大仏、札幌の時計台、紅葉している。 長押 には槍を、描いてもらって、完成。 「どうです、羊羹でも」と言われて、絵 描きは帰る。
その夜、間抜けな泥棒、近視で、乱視で、メガネ嫌いが、この家に入る。 箪 笥に手をかけて、突き指し、みんな絵と気付く。 そっちがあるつもりなら、 盗ったつもりになろうと、風呂敷を広げたつもり、帯源の帯、一斗の酒樽、藤 村の羊羹、ペルシャ猫を風呂敷に包んで、持ち上げたつもりになる。 起きた 八っつぁん、「お前だけ本物か」といわれ、投げ縄、吹き矢で攻撃したつもりに なると、泥棒も懐のけむり玉を破裂させたつもりとなり、長押の槍を取って、 泥棒の脇腹めがけてブスリと突いたつもり…。
50年目の早慶優勝決定戦 ― 2010/11/04 07:08
東西、東~西、第508回落語研究会の覚書も中でありますが、緊急事態が出 来(しゅったい)、早慶戦でござりまする。 慶應が早稲田との対戦に連勝し、 同率首位で優勝決定戦となった。 連勝した試合後、江藤省三監督は「来ちゃ ったかなあ。 よかったですね。 これくらいのことはできるという気持はあ った。 頼もしい。 うれしくて、しょうがない。 ここまできたらという気 持」と、述べた。
50年前の1960(昭和35)年の秋のシーズンは、逆に早稲田が2勝1敗で勝 点を取って、優勝決定戦となり、日没引き分け2試合の後、早稲田が勝った。 世に名高い早慶六連戦である。 大学一年生で、この六連戦を共に経験したク ラスメートから誘いのメールが入ったので、「行きましょう。行きましょう。あ の六連戦から50年、安藤元博からの借りを、斎藤佑樹に返す事にいたしまし ょう」と、出かけたのであった。
11時に外苑前駅の出口で4人が集合したが、同じような考えの人は3万6 千人もいたそうで、すでにネット裏も、内野席も、売り切れで、外野の応援席 の後ろの方に陣取る。 六連戦当時のことを思い出す。 慶應には安藤統夫、 榎本博明、渡海昇二、大橋勲がおり、早稲田には末次義久、徳武定之、前監督 の野村徹がいた。 ピッチャーは慶應が、清沢忠彦、角谷隆、三浦清、丹羽弘 の四本柱、早稲田は安藤元博と金沢宏だった。 外野は芝生席だった当時、「ロ バのお握り」というのを売っていて、「ロハ」なのにお金を取るのかと言ったり、 同じお握りを食べている女子学生を、「同じ釜の飯を食った仲」とからかったり した。
さて、試合はご承知のような結果となった。 斎藤佑樹投手にノーヒットに 抑えられたまま0―7で、7回まで進み、大磯の友人は帰宅した。 鎌田實先 生の「あきらめない」という教訓は生きていた。 8回、慶應は5点を取り、 5―7まで行った。 帰宅した友人は、肩を組んで「若き血」を歌い、奇跡の 逆転かと思う歓びを味わえなかったのだ。 金子投手がなぜかスクイズを試み、 失敗、そこで代打を出して、投手がいなくなったのが江藤省三監督の誤算であ った。
それにしても、50年前と本日と、両方の早慶優勝決定戦を神宮で観られたこ とは幸福というほかない。 夕焼けがきれいだった。
五十年の借りを返せぬ秋の暮
扇遊の「付き馬」 ― 2010/11/05 06:56
汗っかきが続きました、と出て来た扇遊、以前お店のレジに貼ってあった「い つもニコニコ現金払い」などというのは死語、でもカードはきらいだ、現金払 いが気持よいと、「付き馬」に入った。 吉原への松並木に編み笠茶屋というの があった。 格子に並ぶご婦人をじかにひやかさないために、編み笠をかぶっ たり、それがない人は扇子の間から、覗いたりしたものだという。 そんなこ とは意に介さない連中は、格子に顔を突っ込むので、こめかみの両方に「ひや かしダコ」が出来た。 頭の上から、足の先までゾロリとした恰好の男を、若 い衆(妓夫太郎)が誘う。 「お子さんは部屋持ちで、風呂から上がって、オ ケーケーをしたところ」と。 金がないからというのに、貸し金を取り立てに 行く途中という話を信じて、無理に上げてしまう。
付き馬に来た若い衆と、朝湯に入り、湯豆腐で一杯やり、勘定を立替えさせ、 田原町まで引っ張りまわして、早桶屋に「おじさん、おじさん」と大声で呼び かけ、外で待たせた男の兄が腫れの病で急死したので、「図抜け大一番小判形」 の早桶を「こしらえてもらいたい」と頼む。 かなりの悪人だ。 円生は芸談 で「ただ悪いだけでなく、相当に金も使って道楽をしたやつなんですね。そこ でむこう(妓夫太郎)もひっかかる。どこか坊っちゃん坊っちゃんした、いい ところがあるんじゃないでしょうかね」と、言っているそうだ。(矢野誠一『新 版 落語手帖』)
その円生や志ん朝のを思い出すと、悪人というより、その見事な手際に、し てやったりという、爽快感があった。 朝湯や湯豆腐や早桶の一つ一つのエピ ソードが際立って、その面白さが悪を緩和してしまう。 扇遊のはまだまだだ と思ったが、「付き馬」は二度目と聞けば、いたしかたがないところだろう。
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