古今亭志ん吉の「たらちね」2010/11/02 07:07

 いわゆる「晦日」にあたる10月29日は、第508回落語研究会だった。 閑 居してから、「晦日」といわれても、ああそうか、という程度になったのは、ま ことに有難い。

 「たらちね」     古今亭志ん坊改メ 古今亭 志ん吉

 「だくだく」              桃月庵 白酒

   「付き馬」               入船亭 扇遊

          仲入

 「七段目」               柳亭 市馬

 「かんしゃく」             柳家 小三治

 冒険ダン吉を思い出す古今亭志ん吉、8月まで座布団とめくりを返していた 志ん坊で、辛抱の甲斐あって、9月二ッ目に昇進、本日の高座となった。 早 稲田大学文学部卒、社会人を経て、スキンヘッド志ん橋の弟子になったという。  目の窪んだ顔だが、高い声で大きな声を出すのがいい。 ご存知「たらちね」 は、独り者の八五郎の所に、大家が持つものを持たないかと、やって来る。 と ても、というと、一人口は食えないが、二人口は食える、というじゃないか。  ラーヅ(面)の方は?、十人並み優れている、年は二十、夏冬の道具も一揃持 って来るという。 夏冬道具一揃といっても、せんだって留公の所へ来たのは、 行火と渋団扇持ってきた。 そんなんじゃない、箪笥と長持だ。 そんないい 話、どこかにキズがあるのだろう。 わかるか。 横っ腹に穴か、寝小便か、 寝小便ならあっしもやる。 実は言葉が丁寧なのだという。 京都のさるお家 に奉公していたので。 それなら、すぐもらいましょう、思い立ったら吉日。  よく知っているな。

 待つ八五郎「チャラロロー、チャラロロー」と、下駄と雪駄の音に、胸躍ら せると、「タワシはいりませんか、長く亭主に患われ」という押し売りだった。  「末はトウリュウになる」と仲人口を利いた大家は、「仲人は宵の口という、お 開きに」と帰り、二人になる。 名前を聞けば「自らことの姓名は、父は元京 都の産にして姓は安藤名は貞三、あざなは五光、母は千代女と申せしが、わが 母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見てはらめるが故に、たらちねの胎内を 出でしときは鶴女と申せしが、それは幼名、成長ののちこれを改め清女と申し はべるなり」。 長いな、紙に書いてくれ、仮名でとなって、読んでいる内にお 経になる。

 昔のご婦人は、夫に寝顔を見せないといったものだそうで、と朝になる。 お 米のある所がわからない。 「あーら、わが君」が始まる。 「しらげのあり か、いずくにありや」  志ん吉は、上の上。 ひさしぶりに、きちんした「たらちね」を聴いた気が した。 有望だ。

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