「持参金」と『東海道中膝栗毛』の発端 ― 2012/05/06 02:58
30日、小駒の「持参金」を、「モーパッサンかチエホフの短篇を思わせる」 と書いたのが、教養のなさを露呈したようなものだった。 この噺は、十返舎 一九の「弥次喜多」、『東海道中膝栗毛』の発端と同じなのだそうである(大坂 までの八編が出た後、そもそもを知りたいという人気で、序編が書かれた)。 桂 米朝が『続 米朝上方落語選』(立風書房)の「持参金」の解説に書いていた。
「持参金」には元来「逆さまの葬礼」という後半があった。 これがとんでも ない話で、「持参金」でやめるのも、もっともかと思われる。 米朝の書いた「あ らすじ」を引いておく。
二人の話し声を聞いてお鍋が、どうも番頭さんのようじゃが、と障子の破れ 穴からのぞく、番頭もお鍋にまちがいないかと、たしかめるために障子の穴か らのぞく、両方からのぞくので真暗で見えない。 お互いに少し離れたところ で、「お鍋か」「番頭さんか」、とたんにウーンと産気づく。 産婆を呼びに行く やら大騒動となる。 とど、赤子は助かるが、母親のお鍋は産で死んでしまう。 赤ン坊の産着の用意と葬式の準備と一ぺんにとりかかるてんやわんや。 「こ れがあんたのお孫さんです。これはなくなった娘さんの御亭主、いやこの子の 親は別でこの人や」なんてややこしい紹介や挨拶があって、お別れに娘の顔を 一眼(ひとめ)……と、棺桶――寝棺ではなく座棺、その蓋をとって対面さす と、「これは娘やない。第一首がござりません。しかも男の仏じゃ、胸毛が生え ている」という。 そんな馬鹿な……と棺桶をのぞき込んだら、死体が逆さま に入れてあった……というのがサゲです。
「あんたのお孫さん」というから、お鍋の親がどこかで出て来るはずだが、 米朝の「持参金」の速記にはない。 『東海道中膝栗毛』の発端を調べると、 死んだ娘は、お鍋でなく、「おつぼ」という名だが、その親が出て来る。
栃面屋弥次郎兵衛は、駿河国府中の裕福な商家の出だが、遊蕩が過ぎ、旅役 者の華水多羅四郎が抱えていた陰間の鼻之助に入れ揚げて、店を潰してしまう。 弥次郎兵衛は、鼻之助と駆け落ち同然に、江戸へ逃げ、神田八丁堀に借家住い、 鼻之助は喜多八(北八)と名を変え、ある商家の奉公人となる。 弥次郎兵衛 は、密陀絵など描いて暮し、近所の気のいい人の世話で女房「おふつ」をもら って十年、喜多八は卒中で倒れた店の主人の、若くて美しいかみさんといい仲 になっている。 その喜多八が、店の金を使い込んだからと、明日の朝まで十 五両要ると弥次郎兵衛に借りに来る。 弥次郎兵衛、一芝居打って、府中時代 に弥次郎兵衛を好きだった女とその兄の侍が、ご家老の仲裁で弥次郎兵衛を捕 えに来たことにして、女房「おふつ」を追い出す。 腰元「おつぼ」という、 おナカの大きな女を貰えば、十五両の持参金がつくというからだ。 「おつぼ」 が嫁に来たら、不細工な顔で、持参金は明日ご隠居が送ってくるという。 そ こへ喜多八が来たら、「おつぼ」と顔見知りも顔見知り、奉公先が同じで、喜多 八が腹の子の親だった。 その騒ぎで「おつぼ」は、産気づいて死ぬ。 奉公 先出入りの魚屋が知っていた「おつぼ」の親が駆けつけて来ることになる。
喜多八の奉公先の主人は死に、使い込みが露見し、かみさんに言い寄ろうと して不興を買った喜多八は解雇され、弥次郎兵衛の居候になる。 「おふつ」 を追い出し、「おつぼ」も死んで、一人になった弥次郎兵衛は、厄落としにお伊 勢参りを思い立ち、喜多八と二人、東海道の旅に出る。
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