季題研究「夏場所」を報告2012/05/15 03:49

 「夏場所」と「鉄線花」の句会で、「夏場所」の季題研究の担当だった。 だ いぶ前から気にして、あれこれ読んだり、6日から始まった「夏場所」の中継を 見たりしていた。 以下を冒頭に据えて、発表をした。

 五月場所。 五月に東京両国の国技館で十五日間行われる大相撲本場所。 神 社仏塔の営繕の資金を募る勧進相撲の名残。 天明年間からは毎年江戸両国回 向院で行われ、明治から戦前までの国技館も回向院境内に設けられていた。 昔、 大相撲は一月と五月の二回行われ、晴天十日間の興業であった。 昭和三十二 年から正式には「五月場所」と呼ぶことになった。 翌三十三年からは、七月 に「七月場所」が名古屋で開催され、年六場所となった(一月、五月、九月… 東京、三月…大阪、十一月…福岡)。

 「夏場所」とは別に「相撲」「角力」という季題がある。 この「相撲」「角 力」は、秋の季題である。 傍題に「宮相撲」「辻相撲」「草相撲」「秋場所」「九 月場所」「江戸相撲」「上方相撲」「相撲場(ば)」「土俵」「横綱」「大関」「相撲 取」「関取」。 古く陰暦七月に宮中で相撲節会(すまいのせちえ)が行われ、 叡覧があったため秋の季語となった。 また、農耕儀礼では七夕に神前で相撲 をとって豊凶を占った。 室町時代に職業相撲が発達、興行化された。

 〔相撲誕生の一つの説〕『日本書紀』に垂仁(すいにん)天皇七年七月七日に 呼びにやった出雲の勇士、野見宿禰が、當麻蹶速(たいまのけはや)と相撲を とって蹶速の腰を踏み折って勝ち、朝廷に仕えたとある。 そして、皇后の葬 儀の時、殉死にかえて埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓(かばね) を与えられ、子孫の土師連(むらじ)は皇室の葬式・陵墓・土器製作などを担 当したという。 〔もう一つの説〕は、国譲りの神話で出雲の大国主命の次男、 建御名方富命(たてみなかたとみのみこと)が、国譲りを要求する高天原の使 者、武甕槌命(たけみかずちのみこと)と戦った勝負を起源だとする。 破れ た建御名方富命は信濃の諏訪の地に退いて服従を誓い、諏訪大社の上社本宮の 祭神、そして諏訪氏の祖となったという話は、一昨年、御柱祭で聞いてきた。

 なお「夏潮」ホームページの「汐まねき」5月10日には、主宰撮影の報告者 の写真がある。