MIMIさんとの出会い2014/06/14 06:28

 NHKのラジオ深夜便や、6月4日総合テレビの「ひるまえホット」で、『86 歳ブロガーの毎日がハッピー毎日が宝物』(幻冬舎)の美海(みみ)・繁野美和 さんの、明るくお元気で前向きな「おひとりさま」暮らしにふれて、びっくり された方も多いだろう。

 私は1991(平成3)年3月5日、パソコン通信ASAHIネットに「等々力短 信・ネット版」という会議室(フォーラム)を開設してもらった。 「等々力 短信」は1975(昭和50)年2月に始めて、その時16年目、月3回、5のつく 日に120人ほどの読者に郵送していた。 前年暮、このネットから生まれた島 戸一臣さん(当時の社長)の『新・青べか物語』を、短信で紹介したことから、 「等々力短信」をそのままネットに流してみないかという、ありがたいお話を 頂いたのだった。

 開設の挨拶をして、「昔の人は実によく手紙を書いた。 夏目漱石や福沢諭吉 の全集の、書簡集を見れば、彼らがどんなにまめな書き手であったかが、たち どころに分かる。 手紙をもらえば嬉しい。 何事も電話ですます世の中に、 この手紙の楽しさを、何とか復活できないかと、「等々力短信」を始めた。/ 電子メールは、相手の都合も考えずに通話口に呼び出す電話のわずらわし さぬきで、たちまち届けられるし、通信内容を自由に再現し操作することも できる。 電話と手紙の長所だけを取り出したようなものだ。 これは私に とって、理想のコミュニケーション手段ではないか。 ネットで新たに読ん でいただけることになった、たくさんの未知の方々からの反響が楽しみだ。」 と、書いた。

 さっそく、島戸さん始め何人かの方から花輪コメントがついた。 その中に、 「三浦半島西海岸の住人 MIMI」さんが、あったのである。 ASAHIネッ トは、居住地と本名を公開する原則だった。 MIMIさんというハンドルネ ームから、若い女性に違いない、と舞い上がった。 社長や主なメンバーらし き方々は、さておき、さっそく返信した。

 23年前のことである。 私はちょうど50歳だった。 「86歳ブロガー」、 美海(みみ)・繁野美和さんは、その時、63歳だったことになる。