王冠をいただく水の城、駒沢給水所配水塔 ― 2024/05/20 07:05
日本初の近代水道で思い出したのだが、4月の三田あるこう会第565回例会「向井潤吉アトリエ館~サザエさん通り」散策で、駒沢給水所配水塔へ行った。 世田谷区弦巻二丁目、東急田園都市線の桜新町駅から徒歩7分、東京都水道局の駒沢給水所の中に、その古城のような二つの塔が立っている。 残念ながら駒沢給水所の中に入ることはできないが、4月の当番お二人が下見に行って、ご近所の方に教わった塔がよく見えるビュースポットに案内してくれ、折からの満開の桜越しに眺めることが出来た。 二つの塔は、鉄筋コンクリートの円筒の壁にめぐらせた珍しい12の付け柱があり、その頭部に宝石のように12個の電球を載せている。 王冠を模した独特の装飾は「丘の上のクラウン」と呼ばれるなど、街のシンボルとして地域住民に愛されていて、2002年12月、世田谷区の第一回地域風景資産に選定されたほか、土木学会選奨土木遺産、せたがや百景、東京水道名所にも選定されている。
1917(大正6)年、人口の急増する豊多摩郡渋谷町(現、渋谷区渋谷周辺)は、東京市の水道事業推進の重鎮だった東京帝国大学の中島鋭治博士に町営上水道敷設計画を依頼した。 計画は多摩川河畔に取水所(砧下浄水所)を設けて、逆サイフォンの原理の自然の力で、標高45mの駒沢の給水所まで送水し、ポンプの力で給水塔に押し上げた後、重力で渋谷町まで送水するものであった。 砧下浄水所から駒沢の給水所に水を送るため、岡本八幡神社境内(現、岡本公園民家園内)の地下に水道専用トンネル、岡本隧道が作られた。 1921(大正10)年5月に着工、1923(大正12)年3月第2号塔、9月の関東大震災でもびくともせず、11月に第1号塔が竣工、1924(大正13)年3月全工事が完了した。
現在は、施設の老朽化により給水所としての機能は休止しているが、非常時用の応急給水槽として活用されている。 能登の地震で、まだ断水している地域のあることを考えるにつけても、ひねると水の出る水道を整備してくれた先人たちの努力の有難さをあらためて感じる。
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