柳亭市馬の「大山詣り」後半 ― 2025/07/24 07:01
おっかあ、今、戻ったよ。 先達さんのおかみさんと、かみさん連中に、集まってもらえ。 熊さん、一人帰って来た。 姐さんかい。 熊さん、お帰んなさい。 熊を取り囲むようにして、18人。 揃ったかい。 話がある。 熊さん、何で頭に手拭を巻いてんの。 落ち着いて、ちゃんと、聞いてくれ。
お山は無事に済んで、金沢八景を見物しようということになった。 舟に乗って、米ヶ浜の御祖師様(瀧本寺)へ行こうと、伊吹屋という船宿へ行った。 今日は舟を出さねえほうがいいと、船頭が言ったんだが、みんなは行こうと言う。 烏帽子岩の向こうを回ったところまでは、よかったんだ。 ところが、あたりが急に真っ暗になって、ピカッと雷が落ち、篠突くような大降りになった。 疾風だって、船頭が叫んだ。 横波を喰らって、舟が引っくり返った。 俺は、板子を抱えて、泳いだ。 誰一人助からなかったのに、俺一人だけ助かった。 一人だけ、おめおめ帰れない、海へ飛び込もうとしたら、誰がおかみさんたちに伝えるんだ、と言われた。 これを伝えなくてはと、恥を忍んで帰って来た。 みんなは百年待っても千年待っても、もう帰って来ないんだよ。 ワーーッ。 お峰さん、泣くんじゃないよ、ほかの子は驚くかもしれないけれど、私は驚かないよ。 この人は誰ぁれ、“ちゃら熊さん”“千三つ”、千に一つしか本当のことを言わないんだよ。 姐さん、俺は生死のことで、冗談は言わない。 証拠がある。 出家をして、仲間の菩提を弔おうと思って、頭を丸めた。 ほら、この通りだ(と、かぶっていた手拭を取る)。
ワーーッ、かみさん連中が一斉に泣き出す。 お峰が、井戸に身を投げようとする。 井戸に飛び込んで、どうする。 緑の黒髪を下ろして、菩提を弔うのが夫婦というものじゃあないか、貞女の鑑だ。 あの人は、私の腰巻を毎日洗ってくれた、よろしくお願いします。 貞女でけっこう、ナマンダブ。 お峰ちゃん、感心だと、先達さんのかみさんも、髪を下ろしたから、みんな、髪を下ろした。 大きな数珠をグルグル回して、南無阿弥陀仏、百万遍を唱える。
一行は、品川で一杯やった。 かみさん連中が、迎えに来ないな、熊ん所に寄ってやろう。 百万遍の声がするぞ。 熊が、帰っているよ。 途中で垂れを下ろして追い越して行った駕籠で帰ったんだ。 ずいぶん大勢だよ。 尼さんばかりだ。 あれ、真ん中に熊公がいて、鼠入らずの前にいるのは、お前のとこのかみさんに似てる。 アラーーッ、うちのカカアだ。 残らず坊主にしちまったんだ。
亡者がそろそろ帰って来たよ。 化けんのは、いやだよ。 俺だよ。 舟が引っくり返ったって。 足があるよ。 あれ、嘘なの、よかったけど、恥ずかしい。 やい、熊! お帰り、アハハ、ハハハ。 決め式だ、腹立てたら二分ずつ出せ。 先達さん、おたくの姐さんまで坊主にされちゃいましたよ。 いい眺めだ、冬瓜(とうがん)舟が着いたようだ。 結構なこった、目出度い。 お山は晴天、家へ帰れば、みんなお毛がなくて、目出度い。
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