ラフカディオ・ハーン、黒人混血女性との結婚 ― 2026/01/10 07:11
11月の「等々力短信」 第1197号『アメリカ史とレイシズム』(2025(令和7).11.25.)に関連したことを書いておきたい。 朝ドラ『ばけばけ』で、ヘブン(トミー・バストウ)が江藤島根県知事(佐野史郎)の娘リヨ(北香那)にプロポーズされ、「自分は人と深く関わることをやめた」「通りすがり」の人間だとして断わり、アメリカのオハイオ州シンシナティでの体験を告白する場面があった。 新聞記者をしていたヘブンが、下宿先のアパートで下働きをしていたマーサに親切にされて恋仲となり、プロポーズして、教会で二人だけの結婚式を挙げた。 マーサは黒人との混血で、オハイオ州では異人種間の結婚は禁止されていた。 牧師は、それでもいいのかと念を押した。 結婚の事実がわかると、ヘブンは新聞社を解雇され、生活の道を断たれる。 マーサは、自暴自棄となり、剃刀で大家を斬りつける事件を起こし、収監されてしまう。 その結婚は、破綻に終わったのだった。
平川祐(示偏)弘さんの『小泉八雲 西洋脱出の夢』に、事実関係が書いてあった。 ラフカディオ・ハーンがミシシッピーの支流オハイオ河に面したシンシナティに来たのは1869年、南北戦争が終わって4年後だった。 ハーンは1872年から『シンシーナティ・インクワイアラー』紙に寄稿を始め、74年ごろ同紙記者となった。 記者となった頃、彼が下宿した家の調理場でマティー・フォーリーという女が働いていた。 マティーは、ある白人農園主と黒人女奴隷の間に生まれた女で、教育はなかったが話し上手だった。 背が低く、容貌が醜く、少年時代に誤って片目を失明したハーンは、財産も収入も少なく、とても白人の女とはまともに結婚できない、というコンプレックスに悩まされていた。 そのせいかどうか、ハーンはマティーに同情し、女もまたハーンに好意を寄せて、二人はただならぬ仲になった。 当時のオハイオ州は白人と黒人の結婚を法律で禁止していたが、ハーンは一国者だから、あえて法律違反の結婚をし、本来あげてはいけない式まであげた。 しかしその同棲生活はうまくいかずマティーの方から逃げ出した。 社会の掟にそむいたハーンは白人社会から白眼視され、いたたまれなくなって1877年10月下旬、南のニューオーリーンズへ落ちのびたのである。
子供の頃、観た映画で、普通の暮らしをしていた女性が、リタ・ヘイワースだったかな、ミシシッピー川を船で旅行中に、黒人との混血であることが判明して、急に立場が一変し、奴隷として売られることになるのがあった。 子供ながらに、胸を締め付けられるような感じがしたのを、未だに覚えている。
福沢諭吉「日本国の人心は、一方に凝るの弊あり」 ― 2026/01/09 07:15
私は、酒井啓子さんの益田肇『人びとの社会戦争 日本はなぜ戦争への道を歩んだのか』の書評を読んで、福沢諭吉に「日本国の人心は、一方に凝るの弊あり(全集11-184)」という言葉があるのを、思い出した。 明治20年、慶應義塾の学生に対して行った講演「社会の形勢学者の方向第一」にある。
「日本国の人心は、ややもすれば一方に凝るの弊ありというて可ならんか。その好むところにはげしく偏頗(へんぱ)し、そのきらふところにはげしく反対し、熱心の熱度ははなはだ高くして、久しきに堪へず(耐久力がなく)、一向の方向直に直線にして、たちまち中絶し、前後左右に些少の余裕をも許さずして、変通流暢の妙用に乏しきもののごとし。すなはち事の一方に凝り固まりて、心身の全力を用ひ、さらに他を顧みることあたはざるものなり。」 「その凝り固まるの極度に至りては、他の運動(他人の活動)を許さずして、自身もまた自由ならず、内にありては人生居家の辛苦不調和となり、外に現はれては交際の猜疑確執となり、また圧制卑屈となり、社会の不幸これより大なるはなし。」
「ゆゑに今余が諸氏に向かって望むところは、生涯の行路、すべて事物に凝ることなく、何事を執り、何物に熱心するも、常に余力を貯へて、変通流暢の資に供するの一事なり。今月今日本塾にありて学問に従事するも、決してこの学問に凝るなかれ。常に心身を屈強にして、事に堪ゆるの資を作り、その進退敢為(活発)のさまにおいては、外見あるいは奮発の極度と思はるるにもかかはらず、内に実力を余して、心思を百方にはせ、いやしくも判断の明を失ふなかれ。すなはちこれわが同学(同志の学徒)、文明の大主義として忘るべからざるものなり。」
映画『国宝』は、SNSや口コミで皆同じ「横浜流星と吉沢亮が一年半ほどの稽古で、あれをやったのがすごい、実際の歌舞伎を観てみたい」という感想で、爆発的にヒットしていき、昨年末で1209万人を動員、興行収入184.7億円、邦画実写第1位になったそうだ。 その過程で、私は何か「日本国の人心は、一方に凝るの弊あり」という恐れのようなものを感じた。 それで映画は観なかった。 吉田修一の原作は、朝日新聞の連載時に読んでいたのだけれど…。
『TOKYOタクシー』携帯電話、LEDウォール、「夢をつくる」 ― 2025/11/24 07:08
映画『TOKYOタクシー』のエンドロールで、マキタスポーツ、小林稔侍、そして明石家さんま、大竹しのぶの名前が流れた。 マキタスポーツが、若い時のすみれ(蒼井優)を裁く裁判官、小林稔侍が横浜のホテルで大勢の家族に誕生日を祝われる老人だというのはわかっていたが、明石家さんまと、大竹しのぶがどこで出て来たのか、わからなかった。 家内は、大竹しのぶは見たと言う。 帰宅して昼寝の後、「TOKYOタクシー 明石家さんま」「TOKYOタクシー 大竹しのぶ」をGoogleで検索する。 「AIによる概要」という解答が出た。
明石家さんまは、最初に個人タクシーの運転手、宇佐見浩二(木村拓哉)が寝ているところに、ぎっくり腰で運転できない、トイレにも這って行く状態で、長い距離の仕事を代わってくれと電話を掛けてくる仲間、その人の声だった。 最近の映画らしく、『TOKYOタクシー』では、随所で携帯電話が活躍する。 浩二がタクシーのダッシュボードに、携帯電話を立てておく。 高野すみれ(倍賞千恵子)を乗せて走り、会話する合間に、電話がかかってくる。 大竹しのぶは、浩二の姉で、娘の奈菜が音大の付属高校に推薦入学が決まった話になり、浩二は入学金などが掛かるので、金を借りられないかと話す。 「姉貴」という画面に、写真があったので、家内は大竹しのぶを見たと言ったのだろう。 娘の奈菜からの電話に、横浜だと言うと、元町の何とかいうシュークリームを買って来てくれ、と言われる。 すみれは、それを聞いていて、横浜のホテルのレストランで食事した後、そのシュークリームをお嬢さんにと買ってくれ、二人は元町の商店街を腕を組んで歩くのだ。
山田洋次監督は、朝日新聞の土曜日beに月一度連載している「夢をつくる」で、先月と今月、この映画のことを書いている。 10月25日「タクシー運転手と老女 旅の末に」。「お二人の大スターを狭苦しいタクシーに乗せて、何週間もかけ、ふうふう言いながらの撮影でした。」 数年前から「LEDウォール」という技術が考案され、「ステージの中に大きな壁を張りめぐらせて、この壁がモニターのようになっていてテレビのように外景を映し出す、この中にタクシーを置くと本当に走っているように窓外が映るというわけです。映写効果は抜群だし、監督や俳優は肉体的に楽、このシステムがあるから、ぼくはこの作品を作る決心をしたといってもいいかもしれない。」
11月22日「木村君と健さん どこか似た空気」。 「かつて「寅さん」を撮っていた頃、この国は「一億総中流」と言われました。町工場で懸命に働き、ローンを組んで、柴又の江戸川沿いにマイホームを手に入れたさくら一家はその典型だった。あの頃、中産階級は幅広く存在したけど、今は富裕層と多くの貧困層に中間層が侵食されてきているように見えます。」 「公開中の「TOKYOタクシー」に登場するタクシーの運転手さんはそうした中間層の一人、平均的な日本人です。懸命に働き、郊外の2階建ての借家に住み、妻もパートで働いているけど、家賃に加え、子どもの高校入学の学費もかかり、生活はギリギリ。時々心が折れることもあるが、家族のためにひたむきに働いている。」 「「TOKYOタクシー」という映画には、彼のようにまじめに働く人たちが幸せであって欲しいというメッセージを懸命に込めたつもりです。」
『TOKYOタクシー』東京の見納めに巡る場所 ― 2025/11/23 07:35
夫婦の観たいという意見が一致して、山田洋次監督の映画『TOKYOタクシー』を封切初日の午前8時50分から109シネマズ二子玉川で観た。 映画館で映画を観るのは、2023年9月の山田洋次監督の『こんにちは、母さん』以来だろうか。 個人タクシーの運転手、宇佐見浩二(木村拓哉)は、毎日休みなく働いているが、妻の薫(優香)と郊外に借りている二階建の家の更新料や車検代の心配をしているところに、クラリネットをやっている娘の奈菜(中島瑠菜)が音大の付属高校に推薦入学が決まって入学金などで百万円かかることに、悩んでいる。 そんなある日、腰痛で運転できぬ仲間から電話があり、85歳のマダム・高野すみれ(倍賞千恵子)が柴又の家から葉山の高齢者施設まで送る仕事をすることになる。 上品な身なりでネイルも綺麗に手入れしているすみれだが、高齢のため一人暮らしは無理だと感じ、終の棲家への入居を決めたという。 すみれは浩二に、東京の見納めとして、縁のあった場所をいくつか回るように頼む。
最初が言問橋、昭和20年3月10日東京大空襲の折、5歳のすみれを背負った父が、ここでもう駄目だと命を落とし、すみれを他人の手にゆだねた場所だった。 すみれと浩二は、橋の袂の記念碑「あゝ 東京大空襲 朋よやすらかに」に合掌する。 4歳の私、馬場紘二は昭和20年5月24日未明の城南の大空襲で、中延の自宅から父に背負われて馬込方面に逃げ、途中で置いて行ってくれと言ったという母、兄や祖母と、先日洪水のあった立会川に入って、橋の下で水をかぶり、一夜を過ごして助かった。
互いに「浩二さん」「すみれさん」と呼ぶことにしたタクシーは、上野の不忍池(コーヒーと娘の好きなパンで休憩)、向島5丁目・鳩の街通り商店街(母のやっている小さなミルクホールで、すみれが育ち、在日で北朝鮮へ帰ったキム・ヨンギ(イ・ジュニョン)と恋をした)、千住(すみれが生んだ勇(木村優来)と共に、結婚した小川毅(迫田孝也)と都営住宅で暮らした)、浅草、皇居周辺、東京駅、外苑の銀杏並木、渋谷のスクランブル交差点、カトリック碑文谷教会、多摩川を渡って、横浜のホテル、元町商店街、ベイブリッジと巡ることになる。
85歳で、葉山の高齢者施設へ行く物語だ。 84歳の私は、ほとんど全くといっていいほどタクシーに乗らないが、東京の見納めとして、縁のあった場所をいくつか回るとしたら、どこへ行くだろうか。 第二京浜国道沿いの中延から、源氏前公園近くの立会川緑地、延山小学校、父のアンプル工場のあったカトリック碑文谷教会近くの清水町(目黒本町)、芝白金二本榎の明治学院、渋谷、新宿、池袋から川越街道を通って埼玉県になるが慶應志木高、慶應義塾の日吉(神奈川県)と三田のキャンパス、銀行に入って銀座、丸の内1丁目1番地、妻の実家があった目黒、結婚式をした迎賓館・東京都庭園美術館、家業のガラス工場のあった江戸川区小松川、初めて自分の家を持った広尾ハイツ、引越した等々力といったところか。
高校生の息子をバイク事故で亡くし何度も死にたいと思ったというすみれに、ベイブリッジの美しい夕景を走りながら、浩二は生きていてよかったでしょう、と話す。 そして、真面目に働いてきた宇佐見浩二一家に奇跡のような幸運が訪れる。 ちょっと涙が出そうになった私は、『TOKYOタクシー』を観終わって、點心茶室維新號で五目つゆそばを食べ、小春日和の九品仏の陽の当たる坂道をヘロヘロと登って帰宅し、いつもの昼寝をしたのであった。
<トニー谷何ン残暑てふ暑さかな> ― 2025/09/23 07:07
昨日の朝日新聞朝刊、「朝日歌壇」の「番外地」には笑った。 選にはもれたもののユーモアあふれる秀歌を、年に一度、紹介しているもので、今回は4月からの選者を務めている川野里子さんが選んだ。 日々の生活には、可笑しさがあふれている。
啄木をブタギと読みて嗤(わら)われし吾も年老いてじっと手を見る 清水基義
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