全国高校ラグビー慶應志木高、東福岡高校に善戦健闘2026/01/02 06:48

 慶應志木高校同級生の友人からメールが来た。 新年の挨拶のあと、
「西の横綱に、初出場ながら、愚直に自分たちのラグビーを展開し、高校ラグビーを面白くしました。後半、69-0で、ゲームは決まっているのに、あのひたむきに前を向き、モールを組み、そして二つのトライゴールを奪った、こんな快挙はありません。

 齢取って涙もろくなって、我慢しても涙を禁じ得ませんでした。浅野もがんばったし、他のメンバーもよくやりました。志木高の文武両道を世に知らしめました。大喝采です。今年もいい年になりそうです。」

 私は、「同感です。爽やかな敗戦でした。今年も宜しくお願いします!」と返信した。

 慶應義塾志木高校蹴球部は、埼玉県第二地区代表として、2025年の花園の第105回全国高校ラグビー大会に初めて進出し、12月27日第3グラウンドの一回戦で青森山田高に48対12で快勝し、30日第二グラウンドの二回戦で鹿児島実業にも31対17で勝って越年、初出場での三回戦進出は26大会ぶり、1月1日の第一グラウンドで、東福岡高校と対戦、12対69で敗れたのであった。

 メンバーを挙げておく(テレビ中継で見た限り、学年のないのは3年)。
1番森晴己 2番李知成 3番道垣内脩司(1年) 4番朴煇奉 5番橋本瑛太
6番足達康興 7番小池多聞 8番小島昌悟 9番荒木大志 10番服部廉(2年)
11番川田真広 12番キャプテン浅野優心 13番森絆斗(2年) 14番伊東凱(2年)
15番大沢蒼生
16番井口翔(1年) 17番木谷元(2年) 18番大野惺 19番加藤悠人(2年)
20番長峯佑典(2年) 21番山本航瑛(1年) 22番大森貫生 23番鈴木隼(2年)
24番小柴遼太 25番中嶋祥一朗(2年)

令和七年『夏潮』「雑詠」掲載句2026/01/01 07:59

明けましておめでとうございます。 12月30日の全国高校ラグビー二回戦、慶應志木高は31対17で鹿児島実業に快勝して、まことに目出度く年を越した。 今日11時55分キックオフで、何度も優勝した東福岡高校と対戦する。 初出場でジャイアントキリングなるか、期待したい。

元日の恒例になった昨年の『夏潮』「雑詠」掲載句を、お笑い草にご覧に入れることにします。

    一月号
老い二人言葉なくとも衣被
一瞬の摩周の湖面霧晴れて
よれよれの朝顔植ゑ手に然も似たり
    二月号
冷まじや月に浮かべる石舞台
冷まじや夕闇迫る古墳群
冷まじや村の外れの土葬墓地
   三月号
炭住のがたぴし窓に厚目貼
枕許目貼してありスキー宿
曲家の北窓目貼馬眠る
   四月号
北風や北へ向ひて坂登る
「戦争と平和」の平和ペチカかな
白秋の恋もペチカも燃えてをり
   五月号
初仕事出掛ける靴の重さかな
振袖でモニター睨む初仕事
   六月号
寒見舞メメント・モリをつきつける
土佐文旦南国の春運んで来
   七月号
一冬を越すこと得たり春障子
ひろしさん明雀さんよ春障子
厩出し目映い原へ驀地(マッシグラ)
   八月号
稚児の曳く象がたがたと花祭
園長が一人張り切る花祭
知に信を置かぬ人ゐて春愁ひ
   九月号
葉桜からたちまち桜繁りをり
灯点らぬ家の卯の花腐しかな
過ぎたるは古マンションの薔薇の門
   十月号
ゴミ出しや紫陽花日毎丸くなり
夏服の街頭写真父若し
夏服や君等の臍に脅かされ
   十一月号
駒草やたちまちガスに包まれて
駒草やコーヒー淹れて小休止
   十二月号
体温と同じ気温に日傘かな
温暖化異論封ずる暑さかな

アサブロ・ランキング2025年2025/12/31 07:32

 今年も一年、「轟亭の小人閑居日記」を書きとおすことが出来た。 それまで「等々力短信」が早くできると25日以前でも発信していたのを、9月の「等々力短信」第1195号からは、25日には「轟亭の小人閑居日記」を出さず、「等々力短信」を発信することにしたので、一日に日記と短信が二本だぶることはなくなったけれど。

 「消えゆくブログサイト」「アクセス数1/3に 運営撤退相次ぐ」という新聞記事が出て、10月、朝日(ASAHI)ネットは、ぜひブログを続けて欲しい<小人閑居日記 2025.10.6.>、#ブログサイトの火を消すな!!!<小人閑居日記 2025.10.7.>を書いた。 ASAHIネットは、2005(平成17)年5月にブログサイト「アサブロ」を開設、私は同月14日から「轟亭の小人閑居日記」を発信して20年と半年になった。

ASAHIネットのアサブロには、毎日アサブロ・ランキングが発表される。 どれだけの数の方が読んで下さっているか、実数は公表されないが、一応の目安になるので、毎日その順位を記録している。

2025年4月8日には、大河ドラマ『べらぼう』に関連して蔦谷重三郎を書いていた流れで書いた「蔦重出版物の其角の句、「江戸吉原」イメージ継承」が、なんと1位になっていた。 一昨日12月29日には「全国高校ラグビー一回戦、慶應志木48対12で青森山田に快勝」を書いて、志木高同期やLINE仲間、X(旧ツイッター)でも知らせたら2位になった。 1位と2位は、その各一回だけだが、以下次の通りになっている。 5位8回、6位10回、7位8回、8位21回、9位16回、10位22回、11位17回、12位24回、13位26回、14位29回、15位36回、16位38回、17位31回、18位25回、19位18回、20位12回、21位10回、22位6回、23位2回、24位1回、25位1回、26位1回。 それより下になったことは、一度もない。 以上、12月30日まで計364回分。 明らかに、14位から17位がピークの正規分布曲線になっている。 お読み下さっている方々に感謝するとともに、毎日を支えてもらっている家内と、健康で続けていられることに感謝したい。

 2000年末で家業のガラス工場の火を落とし、「轟亭の小人閑居日記」をミレニアム問題を通り抜けたパソコン通信時代の朝日(ASAHI)ネットで書き始めたのは、会社の整理も一段落した2001年11月28日のことであった。 出入りの大工さんに、「紘二さんは、これから何をするんですか」と聞かれた。 「何もしない」と答えて、「働かず」に来た。 以来、25年、「轟亭の小人閑居日記」は、なんと四半世紀になった。

全国高校ラグビー一回戦、慶應志木48対12で青森山田に快勝2025/12/29 07:12

 慶應義塾創立100年の年で、私が志木高校2年生だった昭和33(1958)年創部の慶應志木高蹴球部が、68年目に埼玉県第二代表として花園の第105回全国高校ラグビー大会に初めて進出した。 27日の一回戦で、7回目出場の常連校で大型留学生も二人いる(ラトゥシオエリ、ヴァイプル ディヴィッズ)青森山田高を終始圧倒、48対12で快勝した。 竹井章監督(日川高、筑波大)。 伊藤公平塾長、同期の蹴球部キャプテン村瀬省三君、軽井沢から樋泉新一君夫妻も応援に来ていたという。

 前半、風下だった慶應志木、7番小池多聞のタックルが決まって調子に乗ると、8分12番キャプテン浅野優心がハンドオフで相手をなぎ倒しながら前進して、左隅にトライ、9番荒木大志のコンバージョンキックはポールに当たって外れたが5対0。 フォワードがモールで押し込んで、8番小島昌悟からバックスに展開、15番大沢蒼生、浅野優心が躍動して、前進する作戦が的中する。 浅野からのパスを受けた4番朴煇奉が抜け出し、15分、大沢から11番川田真広がトライ、10対0。 20分、モールのままゴールラインを越えてトライ、15対0。 27分、5番橋本瑛太がトライ、荒木大志のゴールキックも決まり、22対0。 前半終了間際の30分にも、モールで押し込んで、浅野がトライ、27対0で風下の前半を圧倒して終わり、勝利が見える明るい感じとなった。

 後半、風上でキックも交え前進、3分、2番李知成がトライ、荒木のゴールキックも決まり、34対0。 9分、青森山田はキックパスが決まって、11番猪俣大倭トライ、神瑠輝空のゴールキックも決まり、34対7。 慶應志木は、15番大沢蒼生がロングゲイン、19分、モールを押し込んで、李知成がトライ、荒木のゴールも決まり、41対7と、突き放す。 25分、6番足達康興から20番長峯佑典へ交代。 26分、15番大沢蒼生から21番山本航瑛(1年)へ交代。 27分、モールから李知成が3本目のトライ、ゴールも決まり、48対7。 3番道垣内脩司(1年)から18番大野惺へ交代。 30分、青森山田4番内藤俊仁?執念のトライ、48対12でノーサイドとなった。

 二回戦は明日30日(火)10時45分から鹿児島実業戦、それを突破すると、三回戦で早稲田実業と早慶戦の可能性もあるという。

三田あるこう会、NHKアーカイブス『テレビ評伝 福沢諭吉』2025/12/10 07:13

 12月7日は、三田あるこう会の第583回例会があった。 例によって10時30分JR京浜東北線の西川口駅集合。 スマホの「乗換案内」で検索すると、自由が丘から大井町に出るルートは皆無で、渋谷回り埼京線で赤羽乗り換えが出るので、そちらで行く。 西川口駅東口から青木町平和公園の1964(昭和39)年東京オリンピックの聖火台のレプリカを見る。 川口は鋳物の街、吉永小百合・当時17歳の『キューポラのある街』(1962(昭和37)年、浦山桐郎監督)という映画があった。 もともとは1958(昭和33)年のアジア競技大会のために作られた聖火台で、川口屈指の鋳物師、鈴木萬之助・文吾親子二代の聖火台鋳造の苦労話はNHKの番組で見たことがある。 1964年は、私が大学を卒業した東海道新幹線開業の年でもある。 現場で名前を思い出せなかった聖火の最終ランナーは、早稲田大学競走部の坂井義則選手、広島原爆投下の日に近くの三次市で生まれた日本復興の象徴といわれた、亡くなられたそうだが…。

 青木町平和公園は、川口マラソンが終わったところらしく、ゴチャゴチヤしていた。 そこから丸く刈り込んだメタセコイアの並木のある中央通りを、もとはNHK川口放送所があり、1937(昭和12)年に建てられた当時世界一の高さ312.8メートルの電波塔があったSKIPシティへ向かう。 ところが、入り組んだ道で、なかなか目的の場所が現れず、ヘトヘトとなって、一時道端で休み、腕を抱えられて歩くことになってしまった。(この日の歩数計は、13,085歩だった。)

 SKIPシティでは、NHKアーカイブスを「どーも君シアター」の大画面で視聴した。 当番の松岡久幸さんが手配してくれてあったのは、1983(昭和58)年3月21日に教育テレビスペシャルで放映された『テレビ評伝 福沢諭吉』だった。 福沢の生涯と業績を紹介するもので、内容は承知のことが多かったけれど、時折はさむインタビューに、懐かしい方々の若い姿と談話があった。 富田正文さん、芳賀徹さん、高村象平さん、清岡暎一さん、萩原延寿さん、西川俊作さん。 岡山大学の広田昌希さんは、知らなかった。 福沢の慶應義塾が輩出した人物として、小幡篤次郎、馬場辰猪、荘田平五郎、朝吹英二、中上川彦次郎、犬養毅、尾崎行雄、藤山雷太、池田成彬、藤原銀次郎など主に実業界で活躍した人々が紹介された。

 福沢の思想は日本の近代化に大きく影響したが、それはアジアなど後進の諸国でも役に立つのか、タイの留学生で『学問のすゝめ』をタイ語に翻訳した人が登場した。 タイで出版されたが、当時は軍が政権を掌握した状態で、どんな影響を及ぼすか分からないという話だった。