山田風太郎が描いた「抜刀隊」 ― 2006/02/11 07:03
図書館で『山田風太郎明治小説全集』(筑摩書房)の第一巻『警視庁草紙』を 借りてきたら、その終章が「泣く子も黙る抜刀隊」だった。 薩摩人、川路利 良大警視は、早くから薩摩が兵を起すとき「抜刀隊」なるものを編制すること を探知していた。 剽悍無比の薩摩隼人として、切り込み隊で政府軍の心胆を 奪おうと考えるのは当然だ。 それを粉砕するためには、政府軍もまた同様の 「抜刀隊」を編制することだ、と川路は考えた。 薩人を知る薩人なればこそ の着眼だった。 打倒薩摩と警視庁に馳せ参じたのは旧会津藩士だけでも三百 八人あったといわれ、奥羽諸藩の元武士たちもいたとある。
この後が、いかにも山田風太郎らしい。 洋行もした川路が、戦争における 武器に刀を第一と考えるはずがない。 彼はただ敵を精神的に打ちのめすため に、この「警視庁抜刀隊」を生み出した。 その効果は、田原坂の血戦に見る ように甚大で、西南戦争どころか、七十年後まで買いかぶられるもとになった。 すなわち、この真の明治人を父とする子たちは――その適例をあげれば、この ころもう陸軍軍曹として小倉第十四連隊で乃木少佐のもとに出動していた東条 英教の子、東条英機などだが――彼らは、レーダーと原爆に対するに「抜刀隊」 をもって戦う、という愚行を犯したのである、と書いている。
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