三崎坂から「へび道」へ ― 2006/11/05 18:38
朝倉彫塑館前の道を上野方向へ進む。 江戸の地図だと、その左手は大きな 天王寺の寺域で、道に沿って、天王寺古門前町、天王寺中門前町と続く。 途 中、観音寺のところで、ちょっと右に入り、江戸時代からの古い練塀が残って いるのを見る。 また元の道に戻って、まっすぐに三崎(さんさき)坂まで行 き、右に曲がって、千駄木の駅の方向に進む。 右手に全生庵、三遊亭圓朝居 士のお墓がある。 馬場がいてはと、寄ってくれた。 隣に「圓生累代の墓」、 傍らに「ぽん太之墓」という小さな墓石がある。 「ぽん太」は、残念ながら 圓朝の馴染の芸者ではなく、三遊亭ぽん太、愛弟子だという話を、初期の<小 人閑居日記>2001.12.14.に書いたことがあった。
景観に配慮したらしい変な建物の谷中小学校の前に、KT君がこんな不思議 な建物は見たことがないという大円寺がある。 永井荷風撰文の笠森お仙の碑 と、錦絵の鈴木春信の碑がある。 問題の建物は、二つの本殿が一つの建物に 並んで納まっている。 森まゆみさんの『谷中スケッチブック』を見たら、右 が薬王殿で瘡守(かさもり)稲荷のお社、左が経王殿でお祖師様をまつってあ るのだそうだ。
三崎(さんさき)坂が終わって、団子坂が始まる所、菊見煎餅の手前を左折、 「へび道」に入る。 今は暗渠になっているが、昔は不忍池に流れ込む藍染川 で、今は台東区と文京区の区境になっている。 途中で、根津神社へ寄るため 右折したが、古地図で藍染川の右手一帯は大きな池のある豊前小倉藩十五万石 小笠原左京大夫の屋敷になっている。
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