銀座煉瓦街の設計者 ― 2007/01/05 07:03
暮にW・K・バルトンのことを「等々力短信」に書いたら、さっそく銀座の 煉瓦街もバルトンだろうか、というメールを頂いた。 調べてみると、バルト ンではなかった。 銀座は明治5年2月に一帯が火事で焼失した。 明治政府は木造での再建を 禁止し、明治6年「煉瓦石建築の決議」が提出された。 明治10年、煉瓦造 り2階建長屋、幅15間(27メートル)の道路も煉瓦舗装という銀座煉瓦街が 完成した。 設計者はイギリス人トーマス・ジェームス・ウォートルス。 イ ギリス人としか分からないが、明治の工学関係のお雇い外国人はスコットラン ド出身者が多いから、この人もあるいはそうかもしれない。
銀座8丁目8番地金春通り(昔、能の金春屋敷があった)、博品館の裏あた りに「煉瓦遺構の碑」があるそうだ。 丸の内にも煉瓦街があり、煉瓦街は延 べ1万坪、その建設に国家予算の4%弱が充てられた。 東京の繁栄の象徴、 文明開化の情報発信基地となった。
バルトンは水道関係の専門家なので、給水塔の設計などはあったようだ。 浅 草十二階「凌雲閣」は、給水塔に似ていなくもない。 W・K・バルトンが来 日したのは、明治20(1887)年、亡くなったのは明治32(1899)年だったか ら、彼の活躍した時代は煉瓦街の頃より少し遅くなる。
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