「成学即身実業の説」を読む ― 2007/01/30 07:34
福沢諭吉の「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」の演説を読んでみる。 ま ず自らの緒方洪庵の適塾での蘭学修業をふりかえる。 自分は医者の子ではな く医者になろうというのではないし、郷党朋友の誉れを得ようというのでもな い、むしろ蘭学は公衆(攘夷派などの世論)の怒りに触れるものだったのを、 ただ目的もなしに、オランダの医書や物理学を辛苦勤学した。 そのわけを一 歩つっこんで考えれば、自分は日本の士族の子だから、士族一般先天遺伝の教 育に浴して、一種の気風を具えたのも事実だ、という。 そこからが安倍総理 の引用した所で、其気風とは唯「出来難き事を好んで之を勤むるの心」、是れな り。 当時、横文字を読むのは難しく、容易に出来る学問ではなかった。 洋 学が困難で、その修業の辛苦なゆえに、自分はあえてその道に進んだ、という のである。
洋学の志と気位だけは高く、自分が出てきた古学(漢学、儒学)社会を見下 してはいるのだが、それがすぐ生計に結びつくものではない。 そのうちに、 開国となって幕府の翻訳の仕事をし、西洋事情を解説した著述をした。 維新 を迎え、有形には物理原則の正しさ(自然科学の法則を知って人事に利用する) を説き、無形には人権の大切さを論じ、ことに独立の品行、自尊自重の旨を勧 告した著書がベストセラーになって、思いがけない利益を上げ、財産を得るこ とになった。 このように、自分の今までの生活は、みな偶然に得た僥倖であ る。
そして福沢は、第二世代にあたる塾生たちに勧める。 社会はすでに文明開 化の方向に進んでいる。 時勢の方向に変化がなければ、自身の方向を定める のも簡単だ。 昔は学問のための学問だったが、今の学問は目的ではなく、生 計を求める方便だ。 学問が成ったら、すぐ実業界へ進むべきだ、と。
こうみてくると、福沢はその時代の、たまたま幸運にも時流に乗ることの出 来た彼個人の特殊ケースを述べているのであって、それを安倍さんのように一 般の、しかも「未来を切り拓(ひら)」く行動指針とするのは、無理があるだろ う。 「士(さむらい)」を前面に出さず、隠してしまったのも、ちょっと気に なる。
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