「日本を愛した外交官グルーの闘い」2015/08/17 06:25

 12日「終戦を決めた鈴木貫太郎首相と天皇」を書くことになったNHK総合 「歴史秘話ヒストリア」だが、5日の「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎 太平 洋戦争最後の首相」の前の週、7月29日に「もうひとつの終戦~日本を愛した 外交官グルーの闘い~」が放送された。 私は録画の予約をしたつもりでいた のだが、録画出来ていなかった。 NHKのホームページの「歴史秘話ヒスト リア」でバックナンバーを見たら、グルーは「ポツダム宣言」の草稿作成に関 わっていて、それが発表直前に書き換えられていたという。 まことに興味深 い事実で、見られなかったのは残念だった。

 ジョセフ・クラーク・グルーは、アメリカの外交官、1880年ボストンに生れ、 1965年マサチューセッツ州マンチェスターで亡くなった。 1902年ハーバー ド大学卒業、カイロのアメリカ領事館を振出しに外交官生活に入った。 パリ 講和会議にはアメリカ代表団の一員として活躍。 1920年デンマーク駐在公使、 21年スイス駐在公使、27年トルコ駐在大使。 32(昭和7)年日本駐在大使 となり、41(昭和16)年日米開戦まで日米関係の平和的打開に努力した。 42 (昭和17)年帰国し44(昭和19)年までハル国務長官の特別補佐官。 44~ 45(昭和20)年国務次官。 対日終戦工作では天皇制の廃止に反対した。 45 年引退。 多くの著書があるが、特に『滞日十年』Ten Years in Japan(1944) は、在日中の日記や公文書、私文書などに基づくもので、日米関係史にとって 貴重な資料である。

 「歴史秘話ヒストリア」のホームページの「あらすじ」には、こうある。

 エピソード1「日本開戦を防げ!」 昭和7年アメリカの大使として日本に 赴任したグルーは、愛犬に起こった出来事を通じて、昭和天皇を敬愛するよう になる。 日本の政治家と親交を結び、日米の緊張緩和に努める頃、二・二六 事件が発生する。 そして開戦が迫るなか、グルーは戦争回避のための日米政 府首脳の会談実現に奔走するのだが……。

 エピソード2「平和のために立ち上がれ!」 昭和20年、グルーは日本の 深い知識と経験を買われ、国務次官として終戦工作を任される。 日本本土侵 攻によって、日米両国が破滅的な被害を出す前に、外交交渉によって戦争を終 わらせようと考えたグルーは、天皇の地位の保証を条件に、日本の降伏を求め る声明案、のちの「ポツダム宣言」の草稿作成を始める。

 エピソード3「書きかえられたポツダム宣言」 グルーたちのポツダム宣言 草稿は、「皇室の下での立憲君主制」を日本に認めていた。 しかし、発表直前 に、草稿は書きかえられ、それらは削除された。 日本は初め、天皇に触れて いないこの宣言を受諾しなかった。 原爆投下、ソ連の対日参戦など、絶望的 状況が続発するなか、グルーは立ち上がる。

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