『べらぼう』、「瀬川」と平賀源内 ― 2025/03/17 06:56
大河ドラマ『べらぼう』で、「瀬川」はキーワードである。 第2回「吉原細見『嗚呼御江戸』」で、蔦屋重三郎(横浜流星)は、平賀源内(1728~1779)(安田顕)に『吉原細見』の序文を書いてもらいたいと考えていた。 明和6(1769)年に源内が書いた引き札(広告チラシ)のキャッチコピーで、歯磨き粉「漱石香」が、よく売れていたからだ。
「ありやうは銭ほしさのまゝ早々売出申候。御つかひ被遊候て、万一不宜候はゞ、だいなし御打やり被遊候ても、高のしれたる御損、私方は塵つもつて山とやらにて大いに為に相成候」
(「ようするにお金がほしいので早々に売り出したもの。もしお使いになられて、具合が悪ければ、捨ててしまえば大した損にはなりますまい。こちらは塵も積もれば山で、とても助かります。」)
平賀源内は男色家で、歌舞伎役者の若手女形、二代目瀬川菊之丞(1741~1773)と恋仲だったが、その前年に死なれていた。 この菊之丞は、俳号の「路考」から「路考王子」と呼ばれた人気者で、その恰好から、髪は路考髷、染色は路考茶、櫛は路考櫛、帯は路考結びなどが流行するファッションリーダーだった。
ひょんなことで知り合った蔦重に、女がきれい、芸者も確か、台の物ははなやか、好みの女が見つかると案内されて、吉原に来た平賀源内、偽名がばれて「ここに瀬川はいないのか」と聞く。 「瀬川」花魁は吉原で伝説の大名跡だが、四代が自害したあと、縁起が悪いと継ぐ者がいない。 松葉屋に上がった源内だが、女郎にはまったく興味を示さない。 蔦重の幼馴染の花魁花の井(小芝風花)は、源内の好みを知っていて、男装で現れ「あっちでよければ、瀬川とお呼びくだせえまし」と、源内を喜ばせる。 源内は、花の井の「瀬川」に「ひとさし舞っちゃあくれねえかい」と。
翌朝、花の井は、平賀源内が福内鬼外(ふくうちきがい)の名で書いてくれた『吉原細見』の「序文」を蔦重に渡す。 版元・鱗形屋孫兵衛の「改め」(調査・情報収集・編集)となって、蔦重が仕事をした、この『細見嗚呼(ああ)御江戸』は、よく売れたのだった。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。