蔦屋重三郎と「瀬川」、吉原細見『籬の花』2025/03/18 07:03

 『節用集』とは、どういうものか<小人閑居日記 2025.2.19.>で触れたように、大河ドラマ『べらぼう』第6回は「鱗(うろこ)剥がれた『節用集』」で、大坂で出版された『節用集』の偽版(海賊版)を出していた鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)が摘発された。 江戸時代前半の江戸は、京、大坂から入って来る文化を受容するだけだったのが、時代が下って、この頃から、黄表紙や錦絵など「江戸発」のコンテンツが充実し、版元も発展する時期が到来していた。

 鱗形屋の経営が傾き、『吉原細見』を狙って西村屋与八(西村まさ彦)が動き出し、改めに浅草の本屋小泉忠五郎を使う。 蔦重は鶴屋で開かれた地本問屋の会合に行き、鱗形屋に代わって版元となり、地本問屋の仲間に入りたい、新しい『吉原細見』をつくって倍売ると提案する。 実現不可能とみた鶴屋喜右衛門(風間俊介)は、本当に倍売れば、仲間に迎える、と。 この話に、吉原の親父連中は、吉原が自前の地本問屋を持てば、江戸市中に摺り物や入銀本(にゅうぎんぼん、購入希望者が予約金を支払うことで、その本を出版するための資金を集める仕組みの本)を自由に広められると喜ぶ。

 蔦重は、「倍売る」方策を考える。 制作費を半分に節約し、一冊の売値を半額にして、本屋に倍の数を仕入れてもらう。 薄くて持ち運びやすい本にする一方、内容は充実し、大見世だけでなく、庶民が揚げ代を払えるような小見世まで、全ての女郎の情報を載せることにした。

 『べらぼう』で、蔦重は「なんとか吉原を盛り上げたい」と、いつも考えていて、花の井は、「その蔦重に成功してほしい」と願い応援している。 二人の夢は、一致しているのだ。

蔦重のために、花の井は、五代目「瀬川」を継ぐ決心をする。 蔦重の新しい「吉原細見」『籬の花』には、「瀬川」の名が掲載され、伝説の名跡襲名の話題は『吉原細見』の売上を伸ばすことになる。 それに比べ、西村屋の『吉原細見』は見劣りし、地本問屋たちは争うように蔦重の本を仕入れるのだった。

鱗形屋孫兵衛の吉原細見『細見百夜草』安永3(1774)年7月、小本一冊15.6×10.9cm 蔦屋重三郎の吉原細見『籬の花』安永4(1775)年7月、中本一冊18.5×12.4 cm

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