「演説」喋りで他人を説得するメディア、相手に伝わる「文体」 ― 2026/09/02 07:17
三宅香帆さんの新潮社『波』連載「福澤諭吉をよみなおす」、7月号の第1回は「動画の時代に読み直す福澤諭吉」だった。 『文明論之概略』の緒言で「一身にして二生を経(ふ)る」といった福澤が、明治維新後の数え40歳になる明治6(1873)年ごろから、意識していたのは「演説」の必要性であった。 「口頭での言語パフォーマンスとそれを中心とした集団的意思決定の仕組みを日本社会に導入すること」が必要だと強く意識していた。 書くことではなく、喋ることで意思を伝えるメディアが必要だ、と。 書籍や新聞だけでなく、喋りで他人を説得するという新しいメディアに彼は注目していたのだ。
なぜ演説を広めようとしたのか。 それは、欧米の議会制度を実際に目で見たことがきっかけだった。 福澤は、議会だけでなく、日常においても日本人が「会議」つまり口頭で意思を伝えあう場が必要になってくるだろう、とも思ったのだ。 「会議」という、独立した個々人が交際するための場が必要になってくるだろうと福澤は直感した。 演説。 それは日本にやってきた新しいメディアだったのだ。
これを読んだ私は、参考文献に挙げられている、松崎欣一さんの『三田演説会と慶應義塾系演説会』(慶應義塾大学出版会・1998年)と『語り手としての福澤諭吉 ことばを武器として』(慶應義塾大学出版会・2005年)、そして参考文献には挙げられていないが、都倉武之さんの『メディアとしての福沢諭吉―表象・政治・朝鮮問題』(慶應義塾大学出版会・2025年)を思って、嬉しい気持になったのだった。
三宅香帆さんは、「明治の演説ブーム」で演説=喋りによる説得とは暴力の時代へのアンチテーゼであるから、いまの時代に最も重要なメディアのひとつにも見えてはこないだろうか、と指摘したあと、「福澤諭吉の文体」について書く。 福澤はベストセラー『学問のすゝめ』を生み出した「書き手」であり、同時に、演説を日本に広めた「喋り手」でもあった。 しかもそれでいて、福澤は政治家にはならず、最後まで自分の思想や知識を、言葉で、伝えることに注力した。 ここで、松崎欣一さんの『語り手としての福澤諭吉』の長い引用がある。 「読者を「軽侮罵言する」ということがある。そうなってしまっては、「客を招待して門前に番兵を置き、却てこれを叱咤する」ことに他ならないではないか」、「世情の勢いをより高尚の域に導くべく、当代の学問に励む者-学者-の責務として、難解な書物を読むことで終わるのではなく、翻訳、著述、演説、対話、あらゆる方法を駆使して必要なメッセージを積極的に発信しようというのである。」
書き手としての福澤の文体も特徴的だ。 彼は洋書の翻訳をするときも、とにかく平易に、だれにでもわかるように書くことを意識していた。 こうして本人いわく「雅俗めちゃくちゃ」文体が完成した。 誰に向かって書いているのかを意識すること。 それは演説においても同様だった。 重要なのは、伝える方法――メディアの選び方、喋り方、身振り手振りの方法など――なのだ、と。 文体も、喋り方も、訳語の選び方も、福澤にとっては同じ問題だった。 重要なのは、スタイルなのである、と。
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