建言書が福沢に与えた衝撃2006/04/01 07:10

 ロンドンで読んだGeorge Crawshayの建言書が、福沢に与えた衝撃は大き かった。 36年後の『福翁自伝』に「開国一偏の説を堅固にした」と書くほど に…。 それはまた福沢の国際関係理解を深めた。 主権国家間の権力政治と 万国公法の存在に注目し、万国公法がヨーロッパの内でも外でも実効性を持つ と判断した。 万国公法の裏付けとしての(1)世論(自発的結社が力を持つ)、(2) 福沢のいう「権力の平均」(ヨーロッパでのバランス・オブ・パワー)を知った。

 福沢は文久3(1863)年末?の隈川宗悦・南條公健宛書簡で、英艦隊の鹿児島砲 撃の際の、非戦闘員、民家への攻撃に対する英国世論の批判を紹介している。  慶應2(1866)年の長州再征に関する建白書でも、世論に働きかけるべきだと述 べている。

 福沢におけるGeorge Crawshayの建言書の衝撃は、一朝一夕に消えたので はなく、かなり長くその国際関係理解に影響を与えた。 しかし、それほど長 くは続かなかった。 明治11(1878)年「通俗国権論」に、「万国公法」と「条 約」へのシニシズム、明治14(1881)年「時事小言」第四編に、「万国公法」も 「権力の平均」も「キリスチャン・ネーション」の間のみ(ヨーロッパの中だけ、 これが福沢の条約改正論の根拠)、とある。

 George Crawshay とForeign Affairs Committeeの活動についての松沢弘 陽さんの話を聴きながら、私がしきりに思っていたのは、その後のイギリスの 例のバルフォア宣言(1917)に端を発する中東問題、そして現在のアメリカの外 交政策と戦争のことだった。 イギリスがバルフォア宣言によってパレスチナ に民族の故郷を認める一方、二枚舌でアラブの独立も認めていたことが、今に 至るイスラエルとアラブの抗争をもたらした。 Foreign Affairs Committee のような活動が世界中で、もっと活発で、有効に機能すれば、アメリカやイギ リスのそれらの政策はチェックできたのではないか。 それが実現していない 世界は、少しも進歩していないのだろうか、というようなことだった。

小人閑居日記 2006年3月 INDEX2006/04/01 10:15

2822    女は能を舞えるか<小人閑居日記 2006.3.1.>
2825    白洲正子さんを支えたもの<小人閑居日記 2006.3.2.>
2827    彦いち英語落語<小人閑居日記 2006.3.3.>
2829    上野の山「花見の仇討」地図<小人閑居日記 2006.3.4.>
2831    柳家三太楼の「天狗裁き」<小人閑居日記 2006.3.5.>
2833    志の輔のマクラ「私の落語観」<小人閑居日記 2006.3.6.>
2835   「蜆売り」「新版」の訳<小人閑居日記 2006.3.7.>
2837   「夢」=「将来の希望」の初出<小人閑居日記 2006.3.8.>
2840   「夢と現實」<小人閑居日記 2006.3.9.>
2842    行列のできるケーキ店<小人閑居日記 2006.3.10.>
2844    リンボウ先生の「書き方教室」<小人閑居日記 2006.3.11.>
2846   「文章の千本ノック」<小人閑居日記 2006.3.12.>
2848  アイドル作家のマネをする<小人閑居日記 2006.3.13.>
2851    古典は“おいしい”<小人閑居日記 2006.3.14.>
2853    世阿弥の佐渡配流<小人閑居日記 2006.3.15.>
2856    佐渡に残った独特の文化<小人閑居日記 2006.3.16.>
2861    老後の初心<小人閑居日記 2006.3.17.>
2863    自由に生きる楽しさと厳しさ<小人閑居日記 2006.3.18.>
2865    犬糞を踏む<小人閑居日記 2006.3.19.>
2867    池井優さんの「復活!名講義」<小人閑居日記 2006.3.20.>
2869    その試合は現場で観た<小人閑居日記 2006.3.21.>
2871    古橋広之進さんへの父の手紙<小人閑居日記 2006.3.22.>
2873    ふんどしと水泳パンツ<小人閑居日記 2006.3.23.>
2875    オドール監督、そして「水泳の人」<小人閑居日記 2006.3.24.>

短信  2876 『書と文字は面白い』<等々力短信 第961号 2006.3.25.>

2877    中津文化の松明(たいまつ)<小人閑居日記 2006.3.25.>
2881    福沢と郷里中津<小人閑居日記 2006.3.26.>
2884    福沢諭吉におけるパラドックス<小人閑居日記 2006.3.27.>
2888    福沢の複眼と楽観主義<小人閑居日記 2006.3.28.>
2890    乾長江遺墨展<小人閑居日記 2006.3.29.>
2892    ショーロジ・カラウスヘーの建言書<小人閑居日記 2006.3.30.>
2894    George Crawshay-その生涯と活動<小人閑居日記 2006.3.31.>

落語を聴くための行列2006/04/02 09:53

3月31日は、ケーキ屋でなく、本番の行列する日だった。 TBS主催の落 語研究会、この季節恒例の定連席券を求めるために、その発売順整理券をゲッ トする行列である。 わが仲間は、午前8時に参戦、午後3時までの間、3人 で手分けして、国立小劇場横に並んだ。 花冷えの寒い風が、身に応える日で あった。 アンカーを務めた私が無事、整理券を手に入れた。 実際の発売は、 9日(日)に赤坂である。

 今年は昭和41(1966)年10月開場の国立劇場40周年ということで、前庭で「さ くら祭り」というのが開催されていた。 駿河桜という立派な桜が主役で、そ の樹に40年の歳月を感じながら、寒風に恵みの熱いほうじ茶をよばれる。 て ぇーことは、その翌々年の3月14日に始まったこの第五次落語研究会は39年 目に入り、最初郵便での販売が二、三年あった後、行列となったから、35年以 上、毎年行列していることになる。 われながらご苦労様なことだが、行列で きる身体と精神の健康にも感謝しなければならない、と思うのであった。

 夜は、第453回の公演日だった。

   「子ほめ」    立川 志の吉

   「片棒」     柳家 花緑

   「魂の入替」   柳家 三語楼

          仲入

   「雛鍔」     柳亭 市馬

   「出来心」    柳家 小三治

 小三治が出るというので、お仲間の母上が見えていた。 学生時代からお宅 にお邪魔しておなじみだ。 奥さんを亡くし、リタイアもした友人を気遣い、 「遊んでやってください」と言われる。 母親は、子供がいくつになっても、 母親なのであった。 この日の小三治は最高の出来、よかった、よかった。

花緑と「小さんのマクラ」2006/04/03 07:02

 立川志の吉、緊張して出たのは、師匠志の輔譲りかと思ったら、今日の会は 自分を除いて「柳家名人会」で、F1のレースに自転車で参戦したようなものだ、 という。 「子ほめ」、自転車にしては、よくがんばった。 これからが楽しみ。

 花緑、例によって、小さんの話から入る。 食べるのが好き、大食いで、熱 いのが好き。 どんどん食べろといわれて、弟子一同、胃をこわす。 次のタ ーゲットは犬で、犬まで胃をこわす。 そろそろ小さんの話はやめたほうがい いと、私も何度か書いたが、本人も気がついて、途中で「こういう話はお嫌い のようで」とか「こういう話もお嫌いですか」とかいいながら、落語よりも剣 道が好きだった話までやる。 池袋演芸場の杮落とし(改装か)で、居合い抜き をやった、という。 剣道はやらないけれど、小さんのやらなかったダジャレ をやると、花緑が二つ披露した内の一つ。 場所は北海道、後ろ手に縛られて いる綱を、通りすがりに「チョキン」と切って、助けてくれた。 黙って行こ うとするのを、「せめて、お名前だけでも」と尋ねる。 両手の鋏をふりかざし、 「タラバじゃ」。

 「片棒」は赤西屋吝兵衛さんが、金、銀、鉄、三人の息子の誰に身代を譲る か、試しに自分の葬式の出し方を尋ねる噺。 花緑は、テンポもよく、うまい。  次男の銀が、お父っつあんの人形を立てた山車を、神田囃子で送るというあた り、人形振りも、お囃子も、見事なものだった。 その人形が電線に引っかか った恰好も可笑しかった。 本体の噺で、これだけのものがやれるのだから、 小さんのマクラは止めた方がいいと、花緑が生れる前から、小さんを聴いてい たおっさんは、老爺?心ながら思うのであった。

三語楼の「魂の入替」2006/04/04 07:09

 柳家三語楼といっても、地味だから、知らない人が多いだろうが、小さんの 息子である。 この秋、六代目を襲名するという。 最近は、地味な中でも、 噺によっては、とぼけた味が効くことがある。 とぼけた味は、小さんの魅力 の一つでもあった。 小さん襲名が決まったせいか、すっきりした顔で出てき て、「ゆっくりしてって下さい。 限度はありますが…。 いつもは9時すぎ に終演だけれど、今日はわかりません。 トリがトリだから」と、「小三治さん」 と呼んで、小三治の話になる。 B型、変人が多い、凝り性、団体行動を取る のはいや、仲間はずれはもっといや。 凝り性の最後が、ハチミツ。 8人乗 の大きな車に乗っているのに、3人しか乗れない。 ハチミツと水がいっぱい。  せんだっても一緒に行った栃木で、ハチミツを沢山仕入れてきた。 お宅に着 いたので、下ろそうとしたら、「だめだめ、カカアに見っかってみろ」。

 「魂の入替」、あまり演じられない、とぼけた噺である。 鳶の頭が、先生と いう人物にすすめられて、その家に泊まる。 二人で枕を並べ、ぐっすり寝込 むと、二人の魂が体から抜け出し、そろって吉原をひやかしに行く。 途中で 空から、頭の町内が火事なのを見つける。 頭の魂があわてて体に戻ろうとし て、うっかり大口を開いている先生の体に飛び込んでしまう。 魂が入れ替っ て大騒動、医者がもう一度寝かせて魂を入れ替えようと眠り薬を調合する。 そ れが効き過ぎて、二人の魂が体を出たまま、草むらで寝ているところを、ネタ 探し中の浅草奥山は見世物小屋の若い衆に拾われてしまう。 先生の家では、 祈祷師を呼び、日蓮宗の信者二十人も加わり、賑やかな祈祷がはじまる。 若 い衆、その音に引っ張られて、先生の家の所まで来て、金儲けも大事だが、人 の命も大事だと、二人の魂を放り出す。 まだ眠り薬が効いている魂は、丸窓 の所から家の中に入ろうとして、あやまって井戸の中に落ちてしまう。 「ド ンプク、ドンドンプクプク」というのが落ち。

 このとぼけた噺に合いそうな、とぼけた味がたよりの三語楼なのだが、感心 しなかった。 それが、噺そのものの欠陥ではないということが、トリの小三 治を聴いて、はっきりしてしまうことになる。