慶應出身の大阪の代表的企業家 ― 2006/06/28 07:05
26日、三田の演説館で、福澤研究センターの講演会を聴いてきた。 「近代 企業家と福澤諭吉」シリーズの一つ、宮本又郎関西学院大学教授の「近代大阪 をつくった慶應義塾出身の企業家、ニュー・ビジネスモデルを開発した2人― 山辺丈夫と小林一三―」。 宮本又郎さんは大阪大学の名誉教授、お名前はビジ ネス雑誌などで承知していた日本経済史、経営史の先生だ。 話は、とても面 白かった。
福沢と大阪の関係から話を起し、まず慶應義塾出身の大阪の代表的企業家を 列挙した。 外山脩造(長岡・河井継之助門下、銀行家、阪神電鉄初代社長)、 黒川幸七(黒川証券)、山辺丈夫(大阪紡績、東洋紡績)、平賀敏(三井銀行、 阪急電鉄)、上山英一郎(大日本除虫菊、現キンチョール、福沢がアメリカ人を 紹介、その人が除虫菊のタネをくれた)、武藤山治(三井銀行、鐘淵紡績)、阿 部房次郎(金巾製織、東洋紡績)、小林一三(三井銀行、阪急電鉄)、里見純吉 (三越、大丸、白木屋)、小寺源吾(尼崎紡績、大日本紡績)、津田信吾(鐘淵 紡績、鐘淵実業、国際工業)、山口吉兵衛(山口銀行、日本生命、大阪貯蓄銀行)、 杉道助(八木商店、大阪商工会議所会頭)、加藤正人(鐘淵紡績、大和紡績)。 期せずして、話題の阪神と阪急の初代社長が、この中に含まれる。 杉道助 は、吉田松陰の曾孫、戦後大阪財界復興の立役者ということだったが、私は高 校生の時、福沢生誕125年の記念式典参列のため大阪に行き、この人の講演を 聴いた個人的思い出があった。
イギリスの工場にもぐり込んで近代紡績業の技術を習得してきたことを知っ ていた山辺(やまのべ)丈夫が、慶應義塾出身とは知らなかった。 明治6(1873) 年11月に計画、開校され、明治8(1875)年6月まであった慶應義塾の分校、 大阪慶應義塾で数か月だが学んだというのだ。 大阪慶應義塾では、荘田平五 郎(のちに三菱で活躍)や矢野文雄(ジャーナリスト、政治家)が教えていた。
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