『岩波茂雄への手紙』と苦難の時代2006/10/11 07:10

 2003年11月に『岩波茂雄への手紙』(岩波書店)という本が出て、編集に関 わられた伊藤修さんから頂戴して、「等々力短信」第935号で紹介したことが あった。 この本巻末の「岩波茂雄宛書簡差出人一覧(個人)」の「小泉信三」 は、封書56通、葉書4通の計60通という多数に上っている。 収録されてい るのは、それぞれの人が一通だから、1936(昭和11)年6月16日付、この時 刊行が開始された『新輯定版 鴎外全集』を手にしての手紙である。 鴎外漱石 「此両文豪と時代を同じうして生れたることを喜ぶ念は昨今に至つて愈々切な るを加へ候折柄此両巨匠の全集が相並んで貴兄の手に依て刊行せらるゝを見て 衷心感喜に堪へざるものに候」とある。

竹田行之さんの講演で、戦中戦後、関係者が受けた苦難の中に、小林勇の逮 捕投獄の話も出たが、上に書いた「等々力短信」「『岩波茂雄への手紙』」で岩波 書店とその執筆者である学者や文化人の苦難の時代についてふれていたので、 その全文を別に掲げることにする。

『岩波茂雄への手紙』<等々力短信 第935号 2004.1.25.>2006/10/11 07:12

 岩波書店主のデスクに座り、来信を読んで、寄せられた難問や企画に、あな たならどう対処するだろうか。 『岩波茂雄への手紙』(岩波書店)は素晴しい 本だ。 創業九十年記念に社員などの関係者向けにつくったのが「面白い」と 評判で、市販されたのだと聞く。 岩波書店編集部の編集、飯田泰三さんの監 修である。 飯田さんは『福澤諭吉書簡集』の編集委員のお一人で、10月松 崎欣一さんと一緒に講師を務められた、当の岩波セミナールームでの「福澤書 簡を読む」読書会で、お話を聴いたばかりだった。

 『岩波茂雄への手紙』でまず感じるのは、岩波茂雄にはよい友達がたくさん いたということである。 32歳の茂雄が古本屋として創業した1913(大 正2)年、夏目漱石のところへ看板の字を書いてもらいに行ったとき、同行し てもらったのは一高以来の親友安倍能成だった。 翌年の処女出版物が漱石の 『こゝろ』、ついで『道草』『硝子戸の中』『明暗』を出し、没後の『漱石全集』 で岩波書店は出版社として確立する。 『全集』の編者に名を連ねた漱石門下 の阿部次郎、安倍能成、小宮豊隆、鈴木三重吉、寺田寅彦、野上豊一郎、松根 東洋城、森田草平らは、その後の「岩波文化」形成に多大の役割を果たした。  初期岩波書店のもう一つの柱だった「哲学叢書」の刊行も、阿部次郎、安倍能 成、上野直昭という茂雄の一高以来の親友たちが編集し、執筆陣も明治末年に 東京帝大哲学科(茂雄はその選科)を卒業した新進学徒たちであった。

1928(昭和3)年頃から、岩波書店とその執筆者である学者や文化人が、 苦難の時代を迎える。 茂雄あてのそれぞれの手紙の前に、差出人の略歴が付 けられている。 それを見ると、主に治安維持法によって逮捕、投獄されてい るのは、河上肇、久保栄、柳瀬正夢、吉野源三郎、中野重治、久野収、玉井潤 次、大塚金之助、小林勇、羽仁五郎、大内兵衛、三木清(獄死)。 辞職を余儀 なくされているのが、恒藤恭、美濃部達吉、末川博、矢内原忠雄。 刊行停止 や発禁にされたのが、天野貞祐、津田左右吉。 ごく普通の学者や文化人が弾 圧の苦難に遭う、それらの手紙を読んで、言論出版の自由の有難さ、貴重さを 感じ、何としてもそれを守らなければいけないと思わずにはいられない。 飯 田さんの解説に、1936(昭和11)年7月、岩波文庫の福沢諭吉『文明論 之概略』でさえ、皇室に関する不敬な記述があるとして、次版改訂処分を受け たことが見える。 この削除については、昔短信(390号)に書いたことが あった。