偽文書一件と福澤研究センター2007/08/30 06:41

 『福澤研究センター通信』第6号(2007年3月31日)に、西川俊作先生が 「復刻版と偽文書」を書いて、「と云へり」関係の偽文書の一件にふれていらっ しゃる。 ことの発端は1992,3年、東北在住の塾員から、「天は人の上に人を 造らず人の下に人を造らず」は自家に伝えられた文書から福沢が借用したもの だと、青森の和田喜八郎という人物が主張しているが、それは確かな事実かと いう問い合わせがあったことだそうだ。 古文書に強い坂井達朗副所長が和田 喜八郎なる人物に電話で訊ねたところ、そういう史料はあるが、いま他の史料 に紛れてみつからないから、探しておくとの返事だった。 別府在住の古代史 研究家野村孝彦氏がセンターにみえ、和田家文書が第二次大戦後の自宅改築の 際、屋根裏から見つかったという代物で、偽作の可能性が高く、それに基づい て書かれた『東日流(つがる)外三郡誌』(全5巻、1989-90)も多くの矛盾撞着 や剽窃を含んでいること、しかし東北地方には少なからぬサポーターのいるこ とを教えられた。 同書を見てみると、いかにも「まがまがしい」作品で、偽 書だという批判のあることも判明した。

そのうちに、強力サポーターのひとり、昭和薬科大学教授の古田武彦氏が突 然センターに乗り込んできて、和田家文書の中にある和田家先々代が筆写した 福沢書簡を持参した。 見ると確か明治5,6年に大阪から出した手紙だったが、 当時福沢は東京在住だし、漢字カタカナ交じりの書簡文など見たことがないこ と、宛名、署名に「士族」の肩書きをつけ、わざわざ花押を添えるなど、まっ たく福沢らしくないという意見を述べた。 そして後日の研究のため、写しを 取りたいと要望したが、古田氏は取り合うことなく、偽書簡巻子本を箱にしま ってそそくさと立ち去った、という。 最近西川先生がインターネットで調べ たところによると、和田喜八郎は(盗用に関する)野村孝彦氏の訴訟に負け、 1999年に死去した由で、当の偽書簡はどうなったか判らない、そうだ。 そし て「古田氏は定年退職され、和田喜八郎が盗んだ「自説」を説き続けているら しい」という。