「石油」を断たれて「完敗」へ2007/09/04 07:56

 そこで「完敗の太平洋戦争」についてだが、米国の「石油禁輸」によって世 界で最初の「石油危機」に直面した日本は、南方石油の獲得に走った。 通説 では海軍は陸軍に引きずられて戦争に突入したとされるが、岩間敏さんは海軍 軍令部の強硬派、とりわけ石川信吾大佐(海軍省軍務局第二課長)という政治 将校の石油獲得への野望に言及している。 意図的に陸軍を巻き込み、南部仏 印への進駐を実施して、開戦と同時に蘭印の石油資源を押さえ、「自存自衛」の 体制を作ろうという構想だった。 「蘭印」といわれても頭に地図が浮ばない が、オランダ領東インド、ほぼ現在のインドネシアの版図だそうだ。

 真珠湾攻撃で華々しく開戦したが、真珠湾の石油タンク(一大石油備蓄基地) と海軍工廠を見逃したことが、後に米軍の反攻で大きな役割を果させることに なる。 日本の陸海軍には、基本的に補給や護衛という概念がなく、海軍内で は伝統的に「艦隊決戦」中心主義が支配していた(敵の輸送船を叩く戦略にも消 極的だった)。 地味で根気の要る補給路を維持する作戦へ主力を割くことに無 関心だった。 輸送船団は壊滅し、航空戦艦をタンカーに代用するようにもな る。 日米の兵員輸送の比較、貨物船にすし詰めの日本(その状態で多くが撃沈 された)、客船・専用兵員輸送船で快適なアメリカの差の言及 (119-120頁) に、 納得し悲しくなる。 南方補給路は寸断され、石油の確保と輸送の困難は、日 本海軍の決戦海域を限定し、次第に追い詰められて、膨大な艦船と人員の犠牲 を払うことになる。